「そのキャンプで何をしてくれるのか」には とらわれないほうがいい

夏休み、今年も子どもたちは
キャンプから洗濯物とともに帰宅しました。
親と一緒ではない数日間で
すぐには表に現れなくても
何か大事なものを得てきたのだと思います。

今年キャンプに向かう子どもたちを見ながら
2つの出来事を思い出しました。


1つ目は、今までで一番しんどかったキャンプ。
民間の団体の主催するキャンプに
小グループを担当するリーダーとして参加しました。
大学生の頃です。

4泊5日のキャンプは内容が盛り沢山で
思いつく限りの楽しい経験がぎっしり詰まっていました。
私たちのグループは
私と、高校生リーダー1人と、小学校低学年の子ども約12人。
分刻みのスケジュールの中
活動ごとに必要な身支度を促します。
子どもが自分で準備することが大切なので
手伝わない。
「早く」と急かしてもいけない。
でも、時間に遅れてもいけない。

当時の私には、
その2つの命題を生かしつつ、うまく活動を進めるには、
何もかもが足りませんでした。
ずっと、ちゃんとやらなきゃ、という意識にとらわれ
子どもが楽しんでいるかどうかまで
とても気持ちが回りませんでした。

何日目だったか。
ゲームで勝ったチームから順に
おやつを選べるという場面の時に
そのルールに納得のいかないグループの子どもたちが
怒って、広場の隅に行ってしまいました。
広場の隅で、同じところをぐるぐる歩き回りながら
「納得がいかない気持ち」をつぶやき続ける子どもたちを前に
私は、どうしていいのか分からなかった。
その時の「途方に暮れる想い」を今も明確に覚えています。
ただ、その後どうしたのかは思い出せません。


もう1つ、思い出したことは
そのキャンプから、もう数年後のキャンプ。
自治体の民間委託事業(だと思います)で
小学生をサポートをするリーダーとして参加しました。

担当したグループに
「今日はちょっとキャンプを楽しむ気分じゃない」という
女の子が1人いました。
キャンプ地に到着して最初の活動はオリエンテーリング。
彼女は、楽しむ気分ではないけれど
とはいえ、1人だけ参加しない、というのもイヤだったようで
グループの1番後ろから
とぼとぼと、ついていきました。

私は先頭をもう1人のリーダーに任せ
彼女と一緒に最後尾を歩きました。
何か、気の利いたことを言う訳でもなく。
オモシロいおしゃべりで笑わせるでもなく。
ただ、彼女のペースで歩きました。

その日の夕方
気づいたら、彼女の「楽しめない気分」は
どこかに吹き飛んでいました。
同じグループの友達と一緒に
きゃっきゃと笑いながら、ふざける姿がありました。

他のスタッフたちから
「どんな魔法を使ったの?」と聞かれました。

でも正直言って、どうして彼女が気を取り直したのか
私だって分からなかったのです。


今年、その2つのエピソードを思い出したのは
きっと、今の私の問題意識と重なるからです。

今は、大人映えのする活動よりも
子どもの心の動きに添うことを
大切にしたいと考えています。

4泊5日、内容が盛り沢山のキャンプを
批判するという意図ではありません。
普段は経験できない活動の数々は、どれも魅力的なものでした。
ただ、あの時の私には、
それを子どものココロにまで届けられなかった。
スケジュールで決まっているから、ではなく
子どもたちが「それ楽しそう!やりたい!」と思えること。
そのことが、きっとリーダーとしては
一番大切だったのだと思うのです。

一方、「楽しめない気分」を吹き飛ばした女の子は
自分のチカラで「楽しめない気分」を吹き飛ばしたのでしょう。
もしかしたら、
「みんなと一緒に活動しなくちゃいけない」と
私が言葉にしたり、態度で示してしまったら
彼女の気持ちは切り替わらなかったかもしれない。
私のしたことは
彼女が自ら気持ちを切り替えることを
「邪魔しなかった」だけなのだろうと、思います。

子どもと向き合うことに「魔法」なんてないと思うのです。
まずは子どものココロを大切にすること。

「これはあなたにとって、絶対楽しいから(ためになるから・役に立つから・・・)
まずはやりましょう。」という親切心を
自分の振舞いへの言い訳にしないこと。

キャンプファイヤーをした、星を見た、テントにとまった、野外散策した
・・・そんな、大人に分かりやすい活動よりも
子ども1人1人が、その時間の中で、どうココロが動いたのか。
何かに頑張ろうと思う瞬間があったのか。
何かに興味を持つものに出会ったのか。
何かを工夫したり、乗り越えたりしたのか。
そのことが、ずっと大事なんだ、ってことを、忘れずにいようと思います。

4泊5日のキャンプで、
あの子たちにとって、大切な経験は
活動の数々よりも、自分が感じた「理不尽さ」を
言葉にして大人に伝えることのできた
そのことだったかもしれません。
今となっては、それでも良かったのかな、と思います。

子どもの経験や成長は
「分かりやすく目に見えること」で伝えたくなるけれど
それだけで終わらないようにしようと、改めて思うのでした。