満員電車に乗っている人はみんな冷たいの?

人の心の表裏

夕方の電車は、混雑という程ではありませんでしたが

席は全部埋まっていて、立っている人もちらほら、というくらいでした。

向かいのドアから、いかにも、おばあさん、という風な女性が乗ってきました。

座席を探している風に、少し立ち止まっていましたが

私がいたのと逆の方向に歩き出しました。

 

私のすぐそばにいた女性が、そわそわしているのが分かりました。

席をどうぞ、と声をかけるのには、少し遠いところにおばあさんの背中がありました。

そのうち、おばあさんの正面にいた人たちが声をかけ

若い男性が席をゆずっている様子が見えて、その女性もまた自分の手元の画面に視線を戻しました。

 

東京の電車は、まわりの人に無関心で、ちっとも親切じゃない、と言う人がいます。

 

でも、そうだろうか?

「東京の人」という、大雑把すぎるカテゴリーにくくられる人の、

全員が不親切だなんて、私には信じられない。

期待していた親切が得られないことが、10回のうち9回あったとしても

あとの1回に目を向けている方が、私は好きです。

 

娘の保育園が少し遠いために、毎日電車で往復しています。

朝の通勤時間の電車に、私たち親子が乗り込もうとすると

ドアの近くの方たちが、娘がつぶれないようにと、半歩ずつ身体をずらしてくださるのが分かります。

 

 

例えば、もっと陽気な国民性だったり、もっとのんびりした地域性だったりしたら

陽気に挨拶交わしたり、娘にオモシロいことして笑わせてくれたり、

そんなやりとりがあるのかもしれません。

こどもが1人いることで、そんな人と人との関わりが生まれたらとてもすてき。

でも、そんな関わりがないからといって、誰もが「自分のことしか考えてない」訳ではないと思うのです。

 

そもそも満員電車という構造が、居心地の良さから対局にあるので

一見、何でもなさそうに乗っている人たちも、

実のところ自分の気持ちと身体を守ることに必死なのかもしれません。

 

電車の中には、弱者と、その逆の立場である強者がいるのではなく

それぞれの事情を持つ人たちが、ただ揺られているだけなのだと思うのです。

 

弱者に席をゆずりなさーい、って声をあげることよりも

隣に偶然居合わせた「お母さんとその赤ちゃん」に共感の声をかけてあげることを

大事にしていこうと思うし、その姿をこどもたちにも見せていきたいと思うのです。