「待ち合わせ」だって変わっている

学生時代に活動していたサークルでは、こどもたちと遊ぶ活動をしていました。

その頃こどもたちと遊ぶために通っていた場所のすぐ近くに、今住んでいます。

活動前に、サークルのメンバーとおしゃべりした喫茶店が今も残っていて

時々、ふっと懐かしい気持ちになります。

 

駅の一番大きい改札口の前で

メンバーが待ち合わせて一緒に遊びに行っていました。

改札口の前には「伝言板」と書かれた黒板があった頃です。

集合時刻を5分過ぎても、まだやってこない人がいると

<先に行ってます>と黒板に伝言を残して、活動場所に向かったものでした。

 

駅を新しくキレイにした時に、黒板もなくなってしまいました。

携帯を持つ人が増え、きっと使われなくなっていったのでしょう。

待ち合わせ場所さえも、きっちり決めないことが増えました。

 

とりあえず駅に12時ね、って連絡してあって、

あとは携帯やメールでやりとりしていることも多いように思います。

 

でも、<先に行ってます>と伝言を残していた頃の待ち合わせ

ちょっと好きだったなぁ、と思うのです。

その時間に、その場所で。

相手を想って、きっちり、そこで出会う。

どちらから来るかな、と予想しつつ、

人の流れに目をこらす。

ちょっとしたトラブルがあって間に合わない時

どうやって相手にこの事情を伝えようかと、やきもきする気持ち。

お互いに、すごく相手のことを慮る時間だったと思うのです。

 

時々、小学生の息子と待ち合わせをすることがあります。

行き違いで、なかなか出会えないことも、一度や二度ではありません。

出会えない時にどうしたらいいか

小学生なりの知恵を絞って考えたり

不安になりながら、相手が訪れるのをじっと待ったり

本人なりに、あれやこれやと、想いを巡らせているようです。

携帯を持たせたら、すぐに出会えます。

でも、便利な道具に頼らなくても

相手の気持ちや状況を慮り、どうしたらいいかと考えれば

何とかなる時もあります。

 

便利な道具は沢山生まれました。

その便利な道具がある状況が当たり前になってしまうと

自分自身の力と工夫を磨くチャンスがなくなってしまいそうな、そんな気がします。

ちょっと時代遅れな感覚を味わうことも、

自分の持っているチカラをさびつかせないためにいいかな、なんて思うのでした。