言葉はムズカシイ

インターネット上の情報は「日々増えづづけている」と言われています。

その内実は、内容を精査したものばかりではなく

SNSやブログで、自分の想いや体験を言葉にしたものも同様に

「世界で増え続けている情報」の一部なのだそうです。

 

SNSを生活に取り入れている人が増えて、

誰もが情報の「発信者」になれるようになりました。

何か広く伝えたい想いのある時や

自分の近況を、誰でもいいけど誰か友達に知らせたい時は便利です。

でも、深く意識しないままに発信者側になると

そこに書かれた言葉が、本来の意図と違って広まる可能性もある

そのことはこわいなぁ、と、時々感じます。

 

例えば、自身と考え方の違う誰かとの間のエピソード。

ちょっと後味が良くなかったり、もやもやした想いを晴らしたくて

詳しいいきさつも交えて、ちょっぴり愚痴ってしまった時。

 

投稿者を励まそうと、投稿者の考え方に共感する人が言葉をかける。

もやもやの相手を揶揄するような言葉が寄せる。

そうそう、と同意の声が大きくなっていく。

 

その1つ1つには、何の悪意もありません。

でも。

投稿者とは違う価値観を持つ人が

偶然この投稿を目にしたら、どう感じるのだろう、と勝手に心配してしまうこともあります。

自分の考え方や在り方を否定されたような気がするかもしれない。

共感者がいないことに、孤独感を感じる人もいるかもしれない。

 

そもそも、世の中の多くのことに、決まった答えなんてないしなぁ・・・。

 

1人1人は悪気はなくとも、

みんなが相手が見えないままに何かを口ぐちに語る状況は

気付かずに、誰かを傷つけていることもあるかもしれないなぁ、と思うのです。

 

誰もが発信者になれる。

発信の心得も知らないうちに、情報を作る人になれてしまう。

だからこそ、言葉の怖さを知り、言葉と丁寧に向き合うことを心がけよう、と

時折自分に言い聞かせるのでした。