活躍するのは「今」じゃなくてもいい

社会との関わり、たとえば、仕事・NPO・地域活動などなどに、

自分の時間の多くを費やして精力的に活動していた女性は誰しも

こどもを授かって以前のような関わり方ができなくなった時

ふっと、不安になったことがあることと思います。

 

ほんとだったら自分ができたことを誰かがやっていると感じたり。

取り組みたいことを手がけられなくて歯がゆかったり。

今までの活動から、置いていかれているように思ってしまったり。

 

でも、こどもを持つ女性以外に目を向けても、ずっとずっと走り続けている人は、そうはいないでしょう。

本意でない部署に異動になるとか。力不足を感じて学びの必要性に迫られるとか。

体調を崩すとか。伸び悩みの時期とか。様々な事情で、思うにならない状況に陥り、

全速力で走り続けることができなくなって、速度を緩めたり、一時止まったり、違う道を走ったりすることは

誰にでもあるはずです。

 

思う通りにならない状況の時に、それを、自分の中にどう落とし込むのか。

その課題に向き合っているのは、働く母親には限らないと思うのです。

 

自分を振り返ってみても、育児休暇の期間以外にも、目に見える活躍ができていない時期があります。

でも、表立った成果はなくても、

身近な人との関係性の構築、先の仕事につながる学び、充分な休息、我慢することの経験、と

1つ1つが必要な時期だったとも感じます。

 

こどもが小さく、自分が思うような働き方ができない頃は、

今は、まだその時じゃない、と思うことにしていました。

いつか訪れる自分の出番への備えの時期だと。

 

働く母の在り方は、ますます議論されていくと思います。

社会で活躍したいと思った人には門戸が開かれていて欲しいけれど

誰もが一斉に活躍の舞台を社会に求めなくてもいいと、私は考えます。

 

活躍の舞台が家庭や地域の小さなコミュニティであってもいいし、

活躍しないで充電する期間があってもいい。

もちろん社会で華々しく活躍することも素晴らしい。

個々にその決断が委ねられ、その実現を尊重しあいたい。

 

 

そうじゃないと、自分の思う形で「社会での活躍」ができない人・しない人を

意図せずに、責めてしまい、追い込んでしまいます。

 

自分の人生、自分らしく進んでいくために

走ったり歩いたり、時に休んだり、それで当たり前だよね、って言えるような、

ちょっと肩の力を抜いた感じがいいなぁ、と、思っているのです。