同じ「働く母」でも 願いや困り事が 1人1人違うのは当然のこと

ひとりひとり違う

自分の経験や

自分が経験から感じたことは

「大勢のうちの1人」の持つ

ごく個人的な見解に過ぎない。

 

そのことを意識することの

大切さを思います。

 


 

おもちゃの会社で働いていた頃の話です。

私が、初めて企画開発を経験したのは

女玩と呼ばれる、女の子向けの商品の担当部署でした。

 

商品の色や形、デザインを選ぶ時には

当然「女の子が好むものはどれか」を考えます。

元女の子である「私個人」の好みが

「一般的な女の子が好みそうなもの」と違う場合もありますが

その時に、自分の好みを優先させることなんてしません。

 

私は元女の子ですが、女の子のスタンダードではありません。

仕事上の判断なのだから、その区別ができるのは当然のことです。

 


 

翻って。

仕事ではない話題になると

案外、「自分の感じたこと」が全てであるかのように

錯覚してしまうことって多いと感じます。

 

1つのコミュニティの中で

その事例を経験した人の相対的な数が少ないと

その数少ない人の経験が絶対になってしまう。

 

とりわけ、女性の働き方を変えていこうとしている今

前例の少ないことが、あれやこれやと起きています。

 

例えば、働く女性の妊娠出産。

妊娠出産を経験した女性が100人いれば

100通りの経験と感じ方があるはずなのに。

最初に経験した1人か2人の感じ方を元に

「こういうもの」って先入観を持つことってあると思います。

 

たまたま最初の1人がつわりが軽いタイプで

出産ぎりぎりまで長く働きたいという志向を持つ人だったら

「つわりで、仕事を休むのは甘えている」とか

「妊娠中でも残業くらいできる」とか

・・・なんて考え方が、その組織での主流になってしまうかもしれません。

 

また逆に、子育て中は仕事量を減らしたいと思う人の考えを元に

「子どもがいる人は、楽な業務に異動させる」という方針に舵を切れば

出産前と同様にばりばり働きたいと思う人にとっては

自分が戦力外だと言われたような、失望感を感じてしまうかもしれません。

 

誰にも悪気はない。

今の状況をもっと良くしたい

自分の後に続く人のために状況を改善したい

だから自分の経験を活かそうとしているだけだと思うのです。

経験を活かすことを責めていては、何も前に進みません。

でも、せっかく経験したことを通して、

別の新しい型を1つ作るだけでは、もったいないなぁ、って感じます。

 


 

自分の個人的な苦労を誰にも伝えられなかった時代を過ぎ

自分の気持ちや要望を言葉にできるようになった。

それだけで、1つ前に進んでいると思うのです。

だからこそ、その先も見たい。

気持ちや要望は人によって違うことを意識すること。

一人一人違うことに気づき、それに耳を傾けようとすること。

 


 

自分の経験や

自分が経験から感じたことは

「大勢のうちの1人」に過ぎません。

「大勢のうちの1人」だから意味がないのではなく

「大勢」に含まれる1人1人がそれぞれ違うんだ、ってことを知ることに

意味があるのだと考えています。

 

似たような経験をしたからと、

「分かったようなつもり」になるのではなく

1人1人の違いを尊重すること。

 

そのことが、「経験」を伝え合うことの

何より大切な意味だと思うのです。

 

「経験談」を正しく活かせていますか?