「本当にしたいことは何?」という問いに縛られると、何もできなくなると気づいた

フリーランスで仕事をして、5年半になります。
会社員の頃と比べれば、時間の融通はきくし、気楽だし、色々な仕事にチャレンジできるのがいいところ。その反面、別々に受注した複数の仕事の時間配分が難しかったり、仕事が継続するかハラハラしたり、というのが、難しいところ。何より、収入だけを考えれば、会社員として安定したお給料を頂いている方が、ずっとよい。

生活のために仕事を続けるのなら、会社員の方がいいけれど、それでもあえてフリーランスで仕事をする以上は、「何か本当に自分の好きなことをしなくちゃいけない」って、ずっと思っていました。

もちろん頂いたお仕事は1つ1つ一生懸命に取り組むし、私に頼んで良かった、と言って頂けるようにチカラを尽くしてきました。でも、どこかで、「誰かのお仕事をお手伝いさせて頂いている」という意識が抜けず、「この仕事ではなくて、きっと、別の何か本当に好きな仕事があるに違いない」と、どこかで思っていたような気がします。

青い鳥みたいですね。

「本当にやりたいこと」が、きっとどこかにあるはずなのに、どうして見つからないのだろう、とずっと考え続けてきましたが、それで何か答えが見つかった訳ではないのです。考えているうちに、そういえば私は、自分でやりたいことよりも大人に褒められることを選んでしまう子どもだった、とか、まわりに喜ばれることばかりを優先させて生きてきた、とか、自分の本当の気持ちに気づけなくなったんじゃないか、とか・・・自分自身の思索のるつぼの中に沈んでいってしまい、苦しくなることもありました。

さんざん考えて、考えてきましたが、今、ふっと、「私が本当にやりたいことは何だろう」って問いは、一度手放したほうがいい、と気づきました。

この問いに縛られていると、生涯をかけて追及する使命を見つけなくちゃいけない気になって何も踏み出せないから。「誰かに喜ばれること」で、私自身が喜びを感じるのならば、それが私のやりたいこと、って思えばいいじゃないか。

そして、「本当にやりたいこと」は言葉にできないけれど、私は、
子どもと向き合うことが好き。
子どもに向き合う人を応援することが好き。
子どもの育ちに関わることが好き。
子どもの夢中になる顔を見ることが好き。

・・・それで、充分じゃないか。
そのうちのどれかと一致すれば、「今はコレ」と心を決めて、本気で向き合えばいいんじゃないかな、と考えることにしました。

以前、「自分は自分だからいい」って思える拠り所があれば、きっと幸せに近づける、という記事を書きました。

その記事では、幸せは、条件抜きで自分を肯定できることだと書きました。そして、条件抜きで自分を肯定するために、自分が完璧である必要もないし、世間に羨まれる肩書を手に入れる必要もない。また、毎日がスペシャルで、いつだって満足していなくても、日々を普通に生き、嬉しい日も落ち込む日もある毎日が、総じて「いいね」って思えることが、充分に幸せだと書きました。


「本当にやりたいこと」も、その文脈で書いた「毎日がスペシャルであること」と同じかな、と思うのです。毎日が「本当にやりたいこと」を目指すキラキラした毎日である必要もなくて、目の前の「自分にできそうで、自分が好きなこと」と、丁寧に1つ1つ向き合っていけたら、充分に幸せだと思うのです。(もし「本当に見つけたいこと」がどこかになるならば、たぶん、そういう目の前のことと1つ1つ向き合う先にあるのだと思います。「本当にやりたいことは何だ?」と、アタマだけで考えていても、たどり着けない。)


そんな訳で、これからしばらくは、新しいことに出会える自分になれるように、読んだり話したり訪れたり、という〈窓を開いた状態〉で過ごそうと思います。1つ1つの出会いに感謝して過ごしたいと考えています。