【小さな遊び】あそびを見守るおとなはどうしたらいいのか

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『あそびのじかん』出版を機に
発信を始めたページです。
日々の小さな遊びの風景に目を留めたり、
遊びについて立ち止まって考えたりすることが目的。
また、 私の感性も磨き続けていたいと想い、更新しています。
facebookに投稿した「遊びの風景」を、
こちらにも随時載せていくことにしました。


4月5日
【あそびをおもう】
子どもが喜ぶ遊びを
教えてください、と
聞かれることがあります。
有難いことです。

ただ、子どもが喜ぶ遊びを
大人が提案するばかりが
いい形とは限らないかな、とも
思うのです。

大人は無意識に
子どもに反応の良さを
求めてしまうことがあります。

公園では走り回る。
おもちゃを見たら遊ぶ。
クレヨンがあれば描く。
遊びに盛り上がる。

でも、それは、子どもの姿の
一部でしかない。

まわりの様子を観察する。
他の子がどうやって遊ぶか観る。
何をしようか考える。

外には心の動きが見えなくても
めまぐるしく
アタマが動いている時間。
そういう時間は
その子が、その子であるために
とても大切なんだと思うのです。

表に反応のあらわれない姿。
その姿を尊重し見守ることも
ちゃんと、あそびにつながります。

そういうこどもの姿も
大切だってことも
あそびと同じく
伝えていきたいなぁと思います。

親は、
エンターテイナーじゃなくてもいい。


4月7日
【あそびをおもう】
シンプルな素材から
遊びを作るには
コツや経験が
必要なんじゃないかと、
実感します。

確かに遊びの上手な人って
いるんですよね。

みんなでお店屋さんごっこをやろう
という時に
品物や、お店や、お金のことを
一杯思いついて
どんどん準備する人もいる。
どうしたらいいか、ぴんとこなくて
やらなくていいや、と思う人もいる。
その時に、ぴんとこない人に対しては
少し道筋のあるおもちゃが
ヒントになることもあります。
(例えば写真は電車が作れる
 ペーパークラフトで作った電車。
 これを商品に。
 そうすると、参加したくなる人もいる。)

おもちゃを選んで買うだけでなく
最初は、少し大人が関わることが
遊び上手につながるのかもしれません。

関わり方、むずかしいのかなー?

こどもたちが遊んでいる様子を見ていると
確かに
あそび上手さんっているのよね。

あそびのチカラって、育つのかな。
育てたいな。


4月9日
【あそびをおもう】
大人はこどもを
「遊ばせる」と
思っているように感じる。
そして、それには
何か能力が必要だと
思っているようにも感じる。

歌を一杯知ってる、とか
絵がじょうず、とか。
面白いことができる、とか。

「あそびの世界」というのは
こどもたちと
面白いことができる人たちだけの世界で
自分とは別のところにあると
思っているように感じる。

だから、多くの大人にとって
遊びの分かりやすいおもちゃは
とても有難いんじゃないかなぁ。

でも、あそび、はそんなに特別じゃない。
目の前にあるものに
ふと気を留め、立ち止まること。
手を伸ばして、いじってみること。
興味を持ち、面白がること。
それが「あそび」なんじゃないかなぁ。

私自身は
「こどもと遊べる特別なおとな」と
思われてきたと思うんだけれど

それを、「特別なこと」にしないために
私にできることが
何かあるような気がしています。


4月11日
【あそびをおもう】
あそび上手さんになるための
大人の関わりって何だろう?

あそびが生まれるまでの空白を
こわがらないことではないかな。

退屈、とか、どうしたらいい?
という時間を
大人は、こどもが楽しんでないと思って
ついそこに
楽しい予定を入れたり
楽しいおもちゃを買ったり
大人が楽しませたりして
埋めようとするけれど。

でも、退屈だから何とかする
どうしていいか分からないから工夫してみる
という過程が必要なんだと思う。

だから、あそびが生まれる前の空白を
無理になくそうとしないで
その過程すら、楽しむこと。

そして、身の回りの小さなわくわくを
大人自身が感じること。

今のところは、そんな風に思うのです。

あそびに答えはないけれど。
今のところ、こんな風に思う、ということは
時々ことばにしてみると
想いが深まったりします。