私の好きな世界のMuseum:8スミソニアン②自然史博物館

「スミソニアン博物館」の中でも何より楽しみにしていたのは自然史博物館。大雪による閉館のため一度はあきらめたものの、翌日には開館。楽しみが1日のびた分、期待も喜びも更に大きくなった。

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スミソニアン 自然史博物館を画像検索をすると必ずと言っていいほど目にする「巨大なアフリカゾウ」。息子たちの目にはこんな風に見えていたようだ。彼らにとって、Museumで出会うものたち1つ1つは、私が観るよりもずっと大きい。そして彼らに及ぼす影響も、きっとずっと大きい。

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動物の剥製は色々なMuseumで見てきたけれど、ここで出会った動物たちは、今までに見たことのない佇まいだった。

ヌーにおそいかかる2頭のライオン。
ピューマに仕留められて木の枝に掛けられたインパラ。
後ろ足で立って身体を伸ばし、鶏を捉えようとするサーバルキャット。
大きく口をあける姿。授乳する姿。水を飲む姿。

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どれもどれも、いまにも動きだしそうで、その向こうに、その動物の生きる大地が見えてくるようだった。
他の動物におそいかかったり、まさに仕留めようとする場面は、生々しささえも感じた。恐ろしさを感じる人もいるかもしれない。でも、動物たちはそうやって生きている。
「生きる」「生きていく」ってことへの強いメッセージを感じた。

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場を作ろうと思ったら、どんな場合にも、そこに作り手の何かしらの意図が加わる。仮に「何も意図を持たずに、フラットに、観る人の感性に委ねよう」と思ったとしても、「作り手の恣意的なメッセージを感じさせないために、どんな風に場を作るか」と考えて場を作っている。

もし所蔵作品や、展示スペースや、保管環境など、制約が多ければ、その制約の中で何ができるかと考えるのだろう。でも、他よりも恵まれた条件が揃っていたとしたら・・・きっと、自分たちにしか伝えられないメッセージは何だろうかと、考えるんじゃないだろうか。

私は桁はずれの規模をもつスミソニアン博物館の、ごくごく一部しか観ていないけれど、その凄みが感じられる気がした。そういう自負を持っているMuseumだからこそ、いつか時間をかけて、改めて訪れてみたいと感じさせる場所だった。

■訪問データ

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Smithsonian National Museum of Natural History
-所在地:アメリカ合衆国(ワシントンD.C.)
-訪問日:2015年2月18日