遊びを紹介するのは「ちゃんと遊ばせなきゃ」って思わなくていいよ、と伝えたいから

連休に向けて「遊びアイディア」を続けてお伝えしてきました。
遊びのアイディアをお伝えする時には、大人が先の展開まで全部決めてしまわないものをご紹介したいと思っています。そして、ひたすら紙を破るとか、気が済むまで色を塗るとか、ビーズをじゃらじゃら転がすとか・・・役に立ちそうにない遊びが、私は好きです。

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ここ数年、一部の〈遊び〉が市民権を得つつある、と感じています。遊びの中から学ぶことが沢山あるよね、と言われるようになり、いい遊びは脳を鍛えるとか、コミュニケーション力を高めるとか、あれこれと効能が謳われるようになりました。

〈遊び〉が、子どもの育ちに大切なものなんだ、って伝わることは、喜ばしいことです。ただ、昨今の文脈だと、〈遊び〉の中に特別に〈学びにつながる正しい遊び方〉というジャンルがあるような印象を受けます。

〈学びにつながる正しい遊び方〉という概念が持ち込まれてしまうと、正しく遊べるように、親が教えたり、いい玩具を選んだり、手助けしなくちゃいけない、という風に受け取ってしまう人がきっといて、保護者はプレッシャーを感じるだろうなぁ、と心配しています。(そして、そんな風に大人が手をかけてすぎてしまった遊びは、本来の遊びじゃないよね、とも懸念しています。)

遊びは子どもの領分で、大人は手を出さない方が良かったはずなのになぁ。

今は、公園のような決められた場以外で遊ぶことが難しかったり、一緒に遊ぶ相手をすぐに見つけられなかったり、異年齢で遊ぶ場面が減っていたりと、子どもが自分で遊びを会得する機会がぐっと減りました。遊びの幅を広げるためには、多少、大人が準備をした方がいい、という現実は否定できません。
とはいえ、ホントは子どもが自分で遊びを創れる方がいいんだけれど、こんな状況だから「少しだけ」お手伝いするね、という気持ちは忘れずにいようと考えています。

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そんなことを考えながら、「連休遊びのアイディア」として何をご紹介しようかと考えました。

個々の具体的な「遊び方(How to)」よりも、〈難しく考えなくても、こんなシンプルなことの繰り返しで、充分に楽しめるんだ〉ってことをお伝えしたいと思っていました。遊びの最初の入り口だけ手伝えば、子どもは、自分なりに楽しい方法を見つけられる。だから、大人はあれこれと教えたり、指示したりしないで、一緒になって楽しんだり見守ったりしていれば良いのだと。
何より、遊びのアイディアを知ることで、大人たちには「ちゃんと遊ばせなきゃ」というプレッシャーから自由になってもらいたいと思うのです。

遊びは子どもの領分です。大人の手助けは、ゴールに向けて導くことではなく、子どもが、失敗や試行錯誤やチャレンジができるように、環境を整えることです。

これからも、折々に、遊びのアイディアをご紹介していくと思います。その時には、〈紹介された通りに遊べばうまく遊べるのね〉というよりも、〈こういうアイディアを参考にしたら自分たちで楽しいことが見つけられるね〉と思って頂くために、どんな伝え方がいいだろうかと意識しながら、紹介していこうと思います。