【小さな遊び】頑張らなきゃいけないからこそ「遊び」という余裕を大事にしたいんだ

【小さな遊び】はFacebookページ[あそびのじかん]
日々掲載している遊びへの視点を、まとめてお伝えする
〈あそびコラム〉です。


2020年6月、コロナによる緊急事態宣言がようやく解除され
小学生にとっては3か月ぶりに学校での授業が再開しました。
やっと外に出られることに、ほっとしつつ
大人たちは、プレッシャーを感じていました。
ー消毒や換気などの対策を怠ってはいけない、
ー子どもたちに感染を広げるような行動させてはいけない、
ー外出自粛中の勉強の遅れを取り戻さないといけない、
そのプレッシャーは、子どもに如実に伝わります。
苦しくなっちゃうなぁ、と心配になりました。
そんな時こそ、あそび的な視点の出番です。

この時は特殊な事情だったかもしれないけれど
学びをスタートする子どもたちに対しての
大人の関わり方の大切さは
どんな事情においても同じだな、と思うのです。
新学期に向けて、改めて意識したいです。


まなびをキライにならないでほしい

2020年6月1日
まなびは、あそび。

何だろう?・どうして?・知りたい
分かりたい・やってみたい
できるようになりたい
分かった・すごい・できる・
もっとやりたい・こうしたらどうなる?

そういう気持ちを一杯味わえる
あそび。

新しい扉をひらいてくれる
あそび。

だから、子どもたちが
「まなび」をきらいにならないでほしい。

大人たちが、「ここまで身に付けないと」って
必死になりすぎると
子どもたちにとっては、その圧が
ちょっと苦しいから。

学校で過ごす時間がぐっと減ってしまった
こんな時だけれど。
いや、こんな時だからこそ
まなびは、あそびだよ。
まなびは、たのしいよ。
って気持ちを
大事に大事に伝えたいのです。
・・・

学校がはじまる。
先生たちは、減ってしまった時間を
いかに効率的に使おうかと
きっと必死だと思う。
どの学校も、どの先生も
本当に一生懸命だろう。
大変なことだろうなぁと思う。

ただ、その一生懸命さを
親が、先生と同じように、まとってしまうと
子どもにとっては、少々圧が強いかもしれない。

今、この時期に、
学校の先生とは違う親の役割は
何かと考えたら
子どもを受容する部分じゃないかな?

この3か月分を取り戻そうとしすぎて
子どもが、まなびってツラいなぁって
感じてしまうことが
一番こわいなぁ、と思うので。

親は、ちょっと息抜きさせる立場、くらいで
バランスが取れると思うんだよね。


1人になるための大切な場所

2020年6月8日
年齢に関わらず、どんな子も
ふっと
自分だけの時間が
必要なのだなぁ、と実感します。

部屋のすみっこや
ダンボールの中や
机の下や
押し入れの中の
「ひみつ基地」は
ひとりになるための
大事な場所と時間だから。

そこは意識して
「ひみつの場所」に
しておいたほうがいい。

おうちにいる時間が増えているからこそ
そんなふうに
ふっと、自分を取り戻すことは
大人にも必要なのと同じように、
子どもにも必要ですよね。

子どもが狭いところが好きなのは
その空間が必要だからだと思うのです。
大人がおじゃましてはいけない領域が
あると思うのです。


正解は1つじゃないから楽しい

2020年6月9日
見え方は1つじゃない方がいい。
人によって違う方がいい。

知っていることよりも
感じていることを
伝える方がいい。

一言では言い切れないことが
沢山あると気づいていたらいい。

身の回りをそんな風に見る材料は
自然-草や木や、花や虫-と遊ぶことに、
あるんだと思う。

紫陽花の色は何色だろう?

・・・

紫陽花の色は何色だろう?と
問うた時に
きっと子どもは色々に答えてくれる。
その時に
「ピンク、せいかーい」
「むらさき、これもせいかーい」
「みんな、せいかーい」
という言葉選びではなくて。

「ほんとだね、ピンクが見つかったね」
「むらさきも、見つかったね」
「たくさんの色に気がついたね」
という風に関わりたいと思うんだよね。

ちょっとした言葉の違いかもしれないけれど。
「せいかいを探すこと」ではなく
「自分の視点を持つこと」に対して
いいね、って言葉をかけていきたい。


興味の入り口はすぐそこにある

2020年6月15日
双子にんじんから芽が出たよ。

興味の入り口は
すぐそばにも
ありますね。


五感を使う、というのは、そんなに大げさなことではない

2020年6月17日
ソラマメあるけど皮むく?と聞いたら
「むく!」と。
あっという間に、山盛り。

鍋で沸かしたお湯を見て
「入れていい?」と聞く。
どうぞ。
「どうなったら、できあがり?」
においで分かるよ。
「におい、変わらないよ。」
じゃあ、見てて。

「色が変わった!」
「きみどり色が、濃くなった!」
「泡がでてきた!」
アクだね。
「泡、とっていい?」
どうぞ。

「あ!
 においがしてきた!」
できたんじゃない?
味見していいよ。

ーーーーー
マメを茹でる。
それだけなんだけれど。
こんなに五感を使うんだな。

食育とか、立派そうに言わなくとも
好きなものを
美味しく食べたい、と思えば
五感はフル活用されるんですな。


やってみることの楽しみ

2020年7月1日
学校の図工の時間が楽しかった。
家でもやりたいから
画用紙と絵の具と水を出して、と言い、
床に新聞紙を敷き、描き始めた。

図工の時間とか、作る遊びとか
こういうところに着地したら
いいなぁ、と思った。

こういうところ、というのは
「やってみることの楽しみ」ってこと。

上手に描く・きれいに描くことが
目的ではないのは当然として
自由に表現する・・・だって、
年齢が上がるにつれてムズカシイ。
感性と作品が直結しにくくなるしね。

けど、
「あら、これ、楽しいね」と思うものを
1つ見つけることができたら
それって、とてもすてきなことだと思う。

何かを学んだり、得たり、
できるようになったりしなくても
「こんな楽しいことを1つ知ったよ」って
充分に、充分に、いいよね。

音楽もそうだな。歌うことを楽しめたり。
体育もそうだな。好きな運動に出会ったり。
いや、
理科だって、算数だって、国語だって
同じことじゃないかな。
切り口が「教科」というだけで
世の中の楽しいことに
出会ってるんじゃないかな。

楽しい、っていうのは、
面白おかしいだけじゃなくて
新しいことに出会う喜びもあるよね。
それなら、学校は、きっと、
楽しいの宝庫になれる。

子どもは、そういう楽しさを求めてるって
大人の1人として
ちゃんと分かっていたいと思うのです。


何かになることを思い巡らす楽しみ

2020年7月3日
ちょっと大きめの箱を
大事そうに抱えて、彼は言った。
「ね。中に何入ってると思う?」
え?なになに?いいもの?
「見たい?」
うん、見たい。
「じゃあ、特別に見せてあげるね。」

中には、空き箱が4つくらい、
きっちりと入っていた。

宝物なんだね。

まだ何も作っていない箱。
今から何にしようかな、と想いめぐらす
何にでもなれる、箱。
たぶん、「何にでもなれる」という
今の状態が、好きなんだよね。

彼は、きっちりとフタをしめて
箱を元のところに片づけに行った。

・・・

作る遊びは、仕上がりよりも過程が楽しい
・・・と、お話していますが。

過程よりも更に前。
「何かになることを思い巡らす」時が
一番わくわくする、という楽しみ方も
どうやら、あるようです。

材料を集めるのが楽しくって
作らないんですよね、ほんとに。

でも、いいと思うんです。
作っちゃったら、終わっちゃうしね。
あれこれと思い巡らすのが
一番の遊びなんですよね。きっとね。