ボストンの小学校で、こどもたちが書いた暗号のような作文を見ていて
気づいたことがもう1つありました。
それは間違ってもいいってこと。
英語を母国語とするこどもたちだって、
正しい綴りで書いている訳ではないのです。
文法的には正しくない言葉でおしゃべりしている場合もあります。
でも、だからって、彼らが間違いを恐れて
何も書かないか、何も話さないか、と言えば、そうではありません。
今から学べばいいのだから、と
どんどん間違え、それを指摘され、教えてもらい、そのことで定着しているのです。
まして英語が母国語ではない私たちが学ぶ過程にあって
間違うことは当然のこと。
私の経験した英語のテストは、綴りを1つ間違うたびに1つ減点されていきました。
もちろん、何が正しい答えなのかを覚えることは必要です。
テストは習得度合いを確かめる場なのだから、その目的のために、もちろん指摘します。
でも、コミュニケーションはテストではない。
沢山間違うことは、沢山チャレンジしたことと等しく、
間違った分だけ、正しいことを覚えるチャンスが増える。加点です。
多くの日本人が、なかなか英語が口をついて出てこない理由の1つは
「正しく話さないと伝わらない」という意識が強すぎるからだと聞いたことがあります。
そうかもしれません。
個人的には、一般的に日本人気質と言われる、真面目さ、きちんと感は好きです。
でも、完璧に話せるまで、自分にOKが出せないとしたら
話したい相手とコミュニケーションを取るまでに時間がかかりすぎてしまいます。
世界の人たちとコミュニケーションが取れるように
幼いうちから学びをスタートさせたいのならば
そこで伝えて役に立つことは、英語そのものよりも
間違いながら学ぶ、という「姿勢」かもしれません。
たとえ完璧でなかったとしても、今よりもできるようになるために一杯間違うことはすてき。
・・・それは、今よりもできるようになりたい、という自分の姿勢にOKが言えることです。
母親として、英語圏で1年間を過ごしたことをきっかけに、英語学習についてずっと考えてきました。
経験や立場によって、選ぶものが大きく変わりやすいので
たった1つの正しい答えがある訳ではありませんが、
だからこそ、考えることが新しい視点をもたらすこともあります。
自分に足りないものを補おうとするだけが学ぶ意欲につながるのではなく
今の自分はこれで良し、と言えるからこそ、もっと多くの学びを重ねる動機づけになる、という気づきは
私にとって、すごく嬉しい視点でした。
とても純粋で魅力的な学びの在り方として、
英語学習に留まらず、多くのこどもが実感できたらいいな、と思うのでした。