高校の同級生にインタビューしてもらった記事は やっぱり特別だった

高校時代の見えない出口

中学生から高校生というのは

その時期を過ぎた大人の目で見れば

若々しくて可能性があって、まぶしくも、羨ましくも

思える時期ですが

その真っ只中にいる本人にとっては

決して楽しいだけではないかもしれない、と思うことがあります。

 

先の見えない焦り。

大人でもこどもでもない、もどかしさ。

何を目指していいのか定められない不安。

そんな得体のしれない居心地の悪さの中でもがくことが

思春期、なのかもしれません。

 

私にとっても、中学から高校にかけては

まさに、そんなもやもやした霧の中にいた気がします。

とりわけ、編入生として入学した高校では

居場所づくりに時間がかかり

社会人になって結婚をして母になってからも、

高校にまつわるものには

勝手に苦手意識を持ち続けていました。

 

それなのに、ちょっとしたきっかけから

高校時代の同級生からにインタビューをしてもらうことになったのです。

 

 

ママサイトに、「働く母の事例」として紹介頂くというお話を

嬉しく、有難く思い、インタビューの日時を決めました。

相手は、学年でも輝いていた同級生。

片や、学校で存在感の薄かった自分。

卒業式以来初めての再会に、ドキドキして臨みました。

 

 

でも、話し始めてみたら、

自分の高校時代に対しての

ある種の・・・コンプレックスみたいなものは

すっかり忘れていました。

それどころか、学校の持つ固有の雰囲気という

限定された文化を共有していることは

私を安心させ、饒舌にさせました。

いつもは話さないようなことまで

自然に言葉にしていたのです。

 

学校になじめていないと思っていました。

自分の出身高校の文化に、染まっていないと思っていました。

でも、確かにそこで3年間を過ごし

今も大切に思う人たちと出会い

今も大切に思う考え方に出会い

そこでの毎日が確実に

私の中に「在る」のだなぁと

改めて感じました。

 

 

そんな風に、1日1日生きてきたことを

自分の中に積み重ねつつ

私は生かされているんだなぁと

なんだか、しみじみと思うのでした。

 

そんな想いに気づかせてくれたインタビューです。

【インタビュー】キッザニア東京の創業メンバーが語る、遊びの本質と働く意義

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同じ時間・同じ文化を共有した

同級生からのインタビューは

いつもとは違う想いを持つものでした。