[あそびのじかん]というfacebookページを運営しています。
日々の小さな遊びの風景に目を留めたり、遊びについてふと立ち止まって考えたりすることを目的としたページです。
運営側の意図としては、『あそびのじかん』を出版してから、「あそび」を自分らしさの1つとして大事にするべく、
日々感性を磨いていたいという想いもあります。
facebookに投稿した「遊びの風景」を、こちらにも随時載せていくことにしました。
2月16日
【あそびをおもう】
工作で
「コレを作りたい!」と
思いつくには
色々な入り口があると思う。
最初から
作りたい「コレ」が
決まっている場合もあるけれど。
手触りや質感や形に
特徴のある材料を見つけて
「あ、こんな材料を使えば
コレが作れるかも?!」と
ピンと、ひらめく場合もある。
だから動機づけは色々。
最初から作りたいものがなくても
素材に影響されて、
アイディアが浮かぶ場合もある。
分かってはいるけれど・・・。
でも、やっぱり
そんな風に心が動くためには
自分であれこれ工夫して作った経験や
作り楽しさの実感がないと
どんな魅力的な素材を見ても
ときめかないだろう、とも
思ってしまう。
・・・と、何やら
抽象的な話になってきたので
明日に続きます。
こどもの
作りたい動機
あれこれ工夫したい動機
やってみたい動機は
どんなきっかけで生まれるのだろう・・・
という問い。
2月17日
【あそびをおもう】
何かを生み出すためには
「1:こういうものを
実現したい」という中身と
「2:こうやったらできる」
という手段との
両方が必要だと思うのです。
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それは、形を持つ「物」に限らず
歌とか、物語とか、議論とか
研究とか、発明とか、
ビジネスモデルとか・・・何でも。
例えば、文字は、
そのものに魅力がある。
形も美しい。
由来も興味深い。
でも、文字がその魅力を
最も発揮するのは
どうしても伝えたいメッセージがあり
その想いを届けるために
使われる時だと思う。
文字は「手段」だから。
伝えたいメッセージの性質に応じて
どんな手段がいいのかを選ぶ。
そうやって、ものが生み出される。
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だから、良質なものを
生み出すためには
手段を学ぶだけではなく
中身を磨く鍛錬も必要だろうと思うのです。
でも、どうすれば中身を磨けるのか
これという決定打は、なさそうです。
そのせいなのか、教育、という文脈では
つい「手段」を増やすことばかり
考えてしまうような印象があります。
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私が怖くてまだ近寄れずにいるのは
プログラミングです。
すごく可能性があって魅力的な
「手段」だと思います。
魅力的なだけに
何かが「できる」ことを知っただけで
満足してしまうんじゃないかしら、と
そのことを不安に感じています。
小学校でプログラミングの授業が
始まるそうです。
新しい「手段」が増えます。
私にできることがあるとしたら
こどもたちがプログラミングに出会うまでに
「手段」と両輪を成すはずの
「中身」を育てることかなぁ。
「こんなもの作りたい」が
自分の中に沢山育った状態になっている
お手伝いをすること。
粘土や、モーターや、てこや
ゴムや、ボールや・・・
色んなものを使い、自分の手を動かし
あれやこれやと、工夫したり失敗したり。
そんな実体験を持つこどもは
きっと。プログラミングのすごさが、
分かる。
そして、プログラミングという手段を
魅力的に活かせると思う。
むしろ、そういう経験のないまま
プログラミングができて
何かができたつもりになることは
こわいなぁ、と感じるのです。
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一言で言えば。
デジタルに出合う前に
たくさん たくさん たくさん
アナログを経験させてあげたいって
そういうことでした!
実現したい何かがあるから
手段を知ることの意味が
ぐっと深くなる。
そういう「何か」を
沢山持つためには
どうすらいいんだろう?
とか考えていたら
やたら長くなってしまった。