この4月、下の子が小学校に上がるタイミングで
働き方を変えた、という話をすると
働く母たちから随分興味を持って聴いて頂きます。
問題意識として重なり合う部分が多いのかと思います。
そこで、働き方が変わりつつある世の流れの中の
とある1滴のあり方として
今の自分の在りようを言葉にすることにしました。
昨年度、私は会社員として雇用されていました。
新規のプロジェクトを立ち上げるので
会社の一員として一緒にやらないかと
声をかけてもらったからです。
それまでの働き方(=フリーランス)を
変えてもいい、と思えたのは
プロジェクトの内容が、魅力的だったからでした。
(個人としての仕事をゼロにしたくなかったので
雇用されていることはあまり公にしていなかったのですが。)
1年間と少し、そこの社員として、プロジェクトに携わりました。
そして、この4月、
プロジェクトは、次の局面に進みました。
我が家では、子どもたちが進学と進級し、生活が変わりました。
仕事では、「しみずみえが必要」」な場面が減り
家庭では、「かーさんが必要」な場面が増える
そう思ったので、
私の時間のバランスを変えました。
働き方のペースを落とすことにしました。
4月から、9時から14時の5時間勤務のアルバイト、
という立場で働いています。
基本的な仕事内容は、正社員の時と変わりません。
5時間、という勤務時間は、
休憩を取らずに続けて働ける時間
というところから、自分で決めました。
「5時間勤務だと正社員で雇用できないから
アルバイトということになっちゃうよ」
「ボーナスも出せないし、今、せっかく正社員なのに、
それでいいの?」と聞かれました。
ずーっと正社員として働いてきたら
「いいです」って
即答できなかったと思います。
でも今は迷いはなかった。
「雇用形態がなにか」よりも
「自分の時間を自分でコントロールできるか」の方が
私にとって大事だと考えたからです。
フリーランスという働き方を経験したことが
私の価値観を変えたのかもしれません。
産休・育休のあと、仕事に復帰した時は
正社員であり続けることを重要視していました。
所属している組織のルールの中で、
育休や時短を駆使しながら正社員として働き続け
「今はつなぎの時期」・・・そう思っていました。
子どもがある程度大きくなって
もっと仕事に時間を割けるようになった時
自分の望む仕事ができるために
今の立場を維持しようと、考えていたのです。
今の日本では、一般的に、
雇用形態によって仕事内容や権限が違うことも
「立場を維持しなくちゃ」と思った理由の1つかもしれません。
裁量のある仕事、創造的な仕事、新しいことに関わる仕事をしたければ
社員という身分は手放せないと。
けれど、フリーランスとして働いてみれば
そこには、全く違う見え方がありました。
待っているだけでは、誰も仕事を与えてはくれないから
自分が本当にしたいことは掴みに行くしかない。
フリーランスとしては、まだまだ未熟で
充分な仕事を獲得できた自信はないけれど
それでも、仕事に対しての主導権は自分が持つ、
という意識は確かに持つようになりました。
ひとたびその意識を持てば、組織の中に入っても同じ。
組織やプロジェクトに貢献できることに対して
どう関わるか自分で決める、と自然に考えていました。
もちろん、フリーランスを経験しなくても
そんな風に、仕事の主導権を自分で持つ、という
気持ちで働いている人は、多々います。
だから、正社員じゃなくなっても、変わらない。
雇用のかたちがアルバイトに変わったとしても、
私は、私の仕事に主導権を持つ。
それだけのことかな、と思うのです。
ライフステージに応じて、
自分の時間の配分は変えたくなるものだと思います。
今は、「子どもが小さいころ」ばかりが話題になるけれど
介護とか、自分の体調とか、学びなおしとか、
個々に意識を向ければ、もっと色々な変化があるはずです。
「今年は、ちょっとペースを落とそうと思って」と
ペースを変えることが、当たり前にできてもいいのに。
そのペースの変え方も、色々な方法が当たり前になればいいのに。
そんな風に考えています。
今、私は、自分の気持ちの上では納得しているけれど
それは、家族や周りの人の理解のおかげで
一般的ではない形として実現できただけで
今のままではただの亜流でしかありません。
仕事のペースを落とした人が戻れる仕組みがあるのか、とか
働く時間に関わらず働きぶりが正しく評価され待遇につなげられるのか、とか
モノ申したいことも、あります。
でも、全ての状況が整うことを待っていては
何も変えられないと思うのです。
ひとりひとりの働き方が変わろうとしている今
「社会」が変わるのをただ待つのではなく
自分として、自分の働き方は変えられるかもしれない。
自分の働き方を選ぶって、こんなことかな、という
しみずみえの事例、でした。