「街を大学のキャンパスに”見立てる”ことによって、
街のヒト・モノ・コトを再発掘し編集していく」というシブヤ大学さんで
「表現であそぼう-子どもの世界から学ぶ」という授業を行いました。
この企画は、シブヤ大学の授業コーディネーターさんから
「子どもの自由な発想から
大人が何かを学ぶような
そんな授業を行いたい」という
ご相談を頂いたのがスタート。
でも、大人が思ってる程
子どもから、今までに世の中にないような
新しい発想が生まれてくる訳ではない
と思うのです。
ただ、大人にとっての「当たり前」を
身に付けている途上の
子どものちょっとした振る舞いを
大人が、勝手に、「自由だ!」と
喜んでいるだけで。
でも、「子ども⁼自由な発想」という
ステレオタイプではなくて
大人も子どもも、分け隔てなく遊び
わくわくする時間を保証することは、
できる。
その時間の心地よさの中から
何かを感じたり、気づいたりするような
そういう場を創っていけたらいいかもね。
そう思って、企画しました。
6色のお花紙を用意し
最初は、紙だけで遊んだ後
大きな紙での表現あそび。
用意したものは
お花紙・セロハン・廃棄前のお花。
ちょっとの絵の具。
大人も子どもも夢中になって
時間になっても、まだ続けたい程でした。
お花紙で作った立体物を貼ったり。
花びらだけでなく、茎まで貼ったり。
絵の具をたらしたり。
私の想像した以上の表現を
試していました。
大人も、子どもも、関係なく。
本当は、大人だって
自由な表現をしたい、って
思っているんじゃないかな、
って思うのです。
でも
「こんなことしちゃいけないよね」とか
「これはおかしいよね」とか
自分で、勝手に、制限している。
その制限を取り除くことを
助けてくれるのが
子どもという存在だったかもしれない。
彼らが何をしても、しなくても
そこに子どもがいる、というだけで
大人たちの心のストッパーを
はずしてくれる。
子どもにとって、遊びがどんなに大切か
ということを
ずっとお伝えしていますが
大人にも、やっぱり
遊びは大切なんだと思うのです。
子どものチカラを借りながらでも
大人たちが、もっともっと遊びの魅力に
出合っていけたらいいなぁ、
って思うのでした。
シブヤ大学さんのページにも活動報告があります。