フリーランスとして働いていた私が
自分のことを「個人事業主」だ、と
ムスコに話したことがある。
小学校3~4年生だったか。
文脈は覚えていない。
ムスコは、その聞きなれない言葉を
ちょっと面白く感じたらしい。
子どもにありがちな
難しい言葉を使ってみたい、
という気持ちもあったようだ。
数日後、「ほら、あれ、なんだっけ?」
「かーさんが、働いてるの。」
「そう、無職収入者!」
と、言った。
さて、数年たって
あの「無職収入者」とは
どういう意図だったのか
ムスコ本人が解説してくれた。
「小学生的には、仕事している、っていうのは
会社に行っている、っていう理解だったんだよね」
ふむ。
ムスコは保育園育ちだ。
彼自身も、周りの子たちも
保育園で毎朝、
「父さん母さんはお仕事行くからね」と言われて
いってらっしゃい、と、手を振る。
そういうことが当たり前だった。
「でさ、かーさんは、会社に行ってないでしょ。
だから、子ども的には、無職。
でも、今日はコレコレの仕事だから、とか
今日は仕事で、ドコドコに行った、とか
仕事をしている、ってことは分かるわけ。
だから無職だけれど、仕事をしているから
無職収入者、というのが
小学生なりの理解だったんだよね。」
あぁ、小学生なりの理解、って
そんな感じで
働き方に対して、子どもの認識というのは
昭和の頃と全然変わっていなんだな、ってことに
改めて気づいた。
私はかつてキッザニアで働いていた。
子どもたちに
世の中には沢山の仕事があること。
どんな仕事も誰かに必要とされ
誰かの役に立ち
そこにやりがいがあることを
伝えたいと思って、企画の仕事をしてきた。
でも、そういえば
仕事の中身が多様であるように
働き方も多様である、ってことは
まだまだ伝えてこなかった。
多くの子どもたちは、今も
大人になったら会社に所属して
そこで決まった時間で働く、って
思っているんだろうなぁ。
組織に所属していても、
働く時間を自分で決めるとか。
仕事の内容を自分で決めるとか。
あるいは個人で働くとか。
誰と働くかを決めるとか。
そして、自分で決めて収入を得るために
自分の強みを持ったり
人とは違うことができたり
自分にはこんな仕事ができる、って
アピールしたりすることが必要だってこととか。
そのために、
何を学ぶか、何を身に付けるかすら
自分で決めなくちゃいけないこととか。
そういうことの必要性を伝えられてきていないよね。
働き方が変わった今。
学び方も変えなくちゃいけない。
でも、それを子どもたちには
まだまだ伝えきれていなかったんだな。
はたらく、を自由にするためには
自分が、その自由を
コントロールできなくちゃいけなくて。
自由をコントロールするチカラって
社会に出たら自動的に身につく訳じゃない。
子どものうちから。
自由の中で自分がどう振舞うか。
自由でいられるような自分らしさが何か。
自分の強みを持つために何を習得するか。
そんなことを意識する必要があるんじゃないか。
学校で学ぶすべてが
バランス良くできることよりも
「圧倒的な自分の持ち味」というものを
しっかりと模索していく姿勢が
求められるんじゃないか。
「無職収入者」
いいと思う。
まぁ、無職、という言葉の使い方は
ちょいと間違っていたけれど
大きな組織に属さなくても、あるいは属しても
収入、という形で評価を得られる
そんな軸を持った人として
これからの子どもたちが育っていけばいいなぁ。