【小さな遊び】はFacebookページ[あそびのじかん]に
日々掲載している遊びへの視点を、まとめてお伝えする
〈あそびコラム〉です。
友達の真似から遊びが広がる
2019年11月12日
普段あまり接点のない子たちと
粘土で遊びました。
子どもたちにとっては
粘土と同じく
私、という存在も
もの珍しいものでして。
遠巻きに様子を伺う人もいれば
面白いものをあれこれ出してくるぞ、と
興味を持つ人もいる。
もちろん、私どころではなく
粘土に夢中な人もいる。
まぁ、それぞれの反応が面白いわけです。
ちょっと月齢の高い人たちが
粘土で作った「ごはん」を
せっせと私に食べさせてくれるので
私もせっせと食べるマネをしていました。
すると、最後の方になって
最初からずっと遠巻きに見ていた人が
すっと私のところに近づき
粘土で作ったごはんを、
食べさせる真似をしました。
最初は、見慣れない大人が
本当に安心できる人かどうか
ずっと見定めていたけれど
他の子どもたちの様子を見て
これは大丈夫らしい、と
判断したのでしょう。
そして、友達の楽しそうな遊びを
自分もやってみたくなった。
これって、想像以上の
観察と信頼があってこその
行動かもしれない、って思いました。
日頃一緒に生活をしていると
「あの子たちが楽しそうだから
きっと大丈夫」って判断できるくらい
信頼できる存在になるんですね。
子どもの持つ仲間意識というのは
大人が思うように、
一緒に遊ぶとか、仲良くするとか
そんなことだけではなく
参照できる関係性と言う風にも
表れているんだなぁ、と
ちょっと感心したのでした。
ふとした行動のように見えても
その時、子どもに
どんな心の動きがあったんだろう
って考えると
ほーぉっ、と感嘆するのです。
子どもに教えてもらうお作法?
2019年11月13日
折り紙を折っている子どもがいた。
工程の多い、細かいものを作っていたので
「こんなにむずかしいのが
作れるんだね」って声をかけたら
「おしえてあげるねー」と
作り方を教えてくれた。
教えてもらった通りに
半分に折って、また半分に折って
開いて、三角にして・・・と
私は、普通に折っていた。
すると、その子は、ふと
私の手元を見て、自分の手元を見て
「わたし、そんなにきれいに
折れないから、あとやってよ!」と
言い出した。
私は何の考えもなく、無意識に、
きっちり角を揃えていたのだけれど
その子は、2つを見比べて
自分の方が、まっすぐじゃない、
ってことに気づいたのだと思う。
折り紙の良し悪しって
まっすぐかどうかではないと思うので
慌てて、必死に、その子に向けて
「自分で折ったものがすてきだと思う」って
さんざん言ったのだけれど、
なかなか納得してくれなかった。
結局、その、開いて三角に折る、という
ちょっとワザが必要なところは
私がやることで、
ようやく、その先に 進んだ。
きれいか、どうか、という
大人の基準に近い感覚を
身に付け始めた子どもと
どう関わるか、というのは
ムズカシイと思った。
それから、「ちゃんと」できているかが
二元的に見えがちな遊びも
慎重に扱った方がいいのかもなぁ、
なんてことも思った。
さて、私は、
どうしたら良かったんだろう。
「こんなことがあってね。
母は、どうしたら良かったと思う?」って
子どもたちに聞いてみたところ、
実は、兄も、妹も、
同じことをアドバイスしてくれました。
別々の場面で聴いたのだけれど、
どちらも、「そんな大人基準でまっすぐに折っちゃだめ」
という返答でした。
「教えてくれる人と同じくらいに、
ずらして折らないからだよ。」って言われた。
そんなものでしょうか・・・?
楽しんでもらいたい誰かが心の中にいる
2019年11月14日
おとな1人で街を歩いているのに
「あ、かわいい犬!」
「ショベルカーだ!!」
「きれいな葉っぱだな。」
と、心躍るのは
きっと
同じものを見たら喜んでくれる誰かが
ココロのどこかに
いつも、いるからなんだろな。
そんなことを思いながら
街路樹のどんぐりを
思わず、拾う。
あした、使おう。
息子が小さい頃
1人で職場の近くを歩いていて
かわいい犬が散歩しているのを見ると
つい、
「あ、かわいいイヌさんいるよ」と
ココロの中でつぶやいてたなぁ。
遊びの対象年齢を決めるのは子ども自身だよね
2019年11月15日
家でワークショップの準備をしていると
ムスメが、
「なになに?」と興味を持つ。
「私にもやらせてー」と
言うこともある。
で、ちょっと遊んでみることもある。
小麦粉粘土。
小さい人向けの素材で
感触や、形の変化を楽しむのに
適していて
何かの形を作ることとか
細かな表現には向いていない、と
思い込んでいた訳ですが。
2年生の作った「ねりきり風」は
どうしてなかなか、面白い。
色を混ぜて、あんこ色まで再現してる。
教材(おもちゃ)の「〇歳向け」は
やっぱり目安なんだなぁ、って思う。
素材を、どんな風に生かすのか。
自分なりに、どう楽しめるのか。
良い素材、シンプルな素材ほど
奥が深くて、
子どもの工夫に
ちゃんと応えてくれるんだと思う。
小さい子向けのおもちゃだから、とか
小さい子の遊びだから、とか
小さい子がすることよ、とか
大人が決めつけることって
意味がないんだーと思う。
「あー!たのしーなー!」
2019年11月18日
ひとりの子どもが
ちょっとした段差を見つけて
試しに・・・という感じで
のぼったり、おりたりしてみた。
すると、もうひとりやってきて
前の子と同じように
のぼったり、おりたりしてみた。
最初の子は
後から来た子を意識して
得意そうに、のぼったりおりたりして
後から来た子は
最初の子の真似をして
笑いながら、のぼったりおりたりした。
そうするうちに、
どちらともなく
「あー、たのしいなぁー」って
つぶやいた。
勝手な想像だけれど
のぼったり、おりたり・・・
という行為そのものよりも
誰かとシンクロする感じが
楽しかったんじゃないかなぁ。
この日初めて出会った
子ども同士だったけれど
何かがつながったように見えた。
お友達と仲良く遊びましょうね、
なんて、理屈ではなくて
誰かと楽しい気持ちを共有することの
心地よさを、子どもたちは、
知っているのかもしれない。
子ども同士は
大人には分からない何かで
つながることができるのかもしれない。