こどもたちが夢中になれるコンテンツの開発をずっと続けてきました。
コンテンツの内容や、提供する場面を変えながらも、ずっと大切にしてきた思いは変わりません。
それは、こどもたちが「大好き」を見つけるきっかけを作ること。
そのために、こどものためのプログラムには、私なりのこだわりがあります。
そのこだわりを、順にお伝えしていこうと思います。
- こどもだからこそ本物を
- 映像は双方向じゃない
- 想いを持って創り、想いを捨てて運営する
- ストーリーがやる気を引き出す
小学校での人形劇・影絵劇公演のあと、
児童代表の男の子が、お礼の挨拶をしてくれたことがあります。
「本物の人形劇を見せてくれて有難うございました」という言葉に、
私たちは少し微笑みました。こどもが、かわいい表現を使うな、という感じで。
でも、この「本物」という言葉が、後からじわじわと私に響いてきました。
「本物の人形劇」って何だろう?
「生の(ライブの)」人形劇ってことだろうか。
「技術が高い」ってことだろうか。
そして、私なりの結論は、演者である私たちが
「本当に心が通った生きている人形」として演じたから
だから、私たちの劇はやっぱり「本物」だったんだ、ってことでした。
「こどもだまし」という言葉があります。
でも、こどもには絶対「こどもだまし」は通用しません。
こどもだから、この程度で充分だよね、とそんな気持ちで提供したものは、
こどもは見向きもしません。
こどもこそ、本物の価値を知っているのです。
キッザニアで、企画の仕事をしていた頃
やっぱりこだわっていたのは、それが「本物」である、ってことでした。
本物の道具や本物の制服、本物の言葉(専門用語)、本物の想い(理念)を大事にしました。
それが、こどもたちの取り組む姿勢を本気にすることを知っていたから。
「点検」の仕事の企画をしていた時。
問題がないかどうかをただ点検する、って仕事が「本当に楽しいのかどうか」と不安になった大人たちから
プログラム用にあえて毎回不良箇所を作ってはどうか、という
アイディアが提案されたことがありました。
でもよくよく聞くと、その業務における不良は、1年に1回あるかないか、という頻度でしか
発生しないとのこと。「不良がないのが当たり前」のものを点検する仕事なのです。
だから、演出のためのうそはやめました。
不良がないのが当たり前のものを、本当に不良がないかどうか確かめる責任感の方が
その仕事の在り方として「本物」だと考えたからです。
体験が始まってみれば、地味だと思われた仕事は、こどもたちから意外に好評で、
隅から隅まで、丁寧に点検しているという話を聴いて、
あぁ、やっぱり良かったんだ、と、安心しました。
本物は、ちゃんとこどもに届く、だから
こどもにこそ本物を。
いつもそのことを、大事にしています。