子どもに伝わる言葉は 本質を突く言葉

言葉の引き出し

駅のホームにあった「非常用ボタン」が目に留まりました。2種類の説明文がついていたからです。1つは普通の説明文。もう1つは、ひらがなが多く、たぶん、こども用として書いたのだろうと思われました。

緊急にご用の方 または不審なものを発見したときは、よびだしボタンをおして 駅係員とインターホンでお話ください。 きんきゅうにごようのかた または ふしんなものをみつけたときは よびだしボタンをおして えきかかりいんと インターホンでおはなしください。

でも、もしそうだとしたら、せっかくこども用の文章を別に作ったのに、これでは、なかなか伝わりにくいなぁと思ってしまいました。

この「こども用」の文章、ただ、漢字をひらがなに置き換えるだけでなく、「発見したとき」を「見つけたとき」と言い換えたりしていて、より分かりやすくしようという気持ちが感じられます。
でも一方で、「緊急」「不審」など、「発見」よりも、もっと難しそうな言葉がそのまま残されていて、適当な言い換えの言葉を思いつかなかったのかしら、と思えてしまいます。

では、「緊急の場合」をどう言い換えたらいいのか考えると、「急ぎの場合」「急いでいるとき」「とても急いでいたら」・・・という言葉でしょうか。
が、これだけでは、何に対して急いでいるのかが分かりません。(こどもならば、急いで電車に乗りたい時に押す、と思ってしまうかもしれませんし。)
そうすると「駅の人に急いでお知らせしないといけないことがある時」というのが、より的確な言い換えになりそうです。

・・・それってどんな時?

自分の大事なものをホームに落としてしまったとか、誰かがホームに落ちたとか、病気の人がいるとか、そういう時でしょうか?「ふしんなもの」を見つけた時も、含まれそうです。たぶん、総じて「自分の力で解決できない時」だと思われます。

あれ、そう考えるとこの文章を、こどもが理解できるように書き換えようと思うと
「何か、困ったことがあって、駅の人に知らせたい時は、インターホンを押して・・・」と言うことになりそうです。
すっかり原型を留めなくなってしまいました。

こどものための説明をすると、自分の理解が深まる、というのは、こういうことだと思います。
大人同士は、なんとなく耳障りの良い言葉で伝えれば、自分の中で適宜補って理解しますが、こどもに伝えるには、「本来これってどういうこと?」「何を伝えたい?」という、そもそもに立ち返る必要があるのです。


キッザニアで働いていた頃、体験できる1つ1つの「しごと」を、こどもたちに、どのように説明をするかを考えて、こどもに説明をするスタッフと共通の見解を持つことが私の担当していた仕事の1つでした。
それぞれの「しごと」の意義や目的について、大人として何となく分かっているつもりだったことも、こどもに伝えようと思うと、改めて「そもそも」から見つめなおさなくてはいけないことを日々経験してきました。

今でも忘れられない説明の1つが、「新生児室の看護師さん」の仕事の説明です。
最初、この仕事について、こんな言葉を書いていました。
「産まれてすぐの赤ちゃんのお世話をする仕事です。赤ちゃんに対して、愛情を持って接することが大事です。」

けれども、プログラム全体の説明を読み返すと、どうにも、この冒頭の部分が気になります。
「愛情を持って接する」って何だ?
5歳のこどもに、「愛情を持って接してくださいね」って言って、どんな振る舞いをしたらいいかが分かるんだろうか?

その時に思い浮かんだのは、キッザニア発祥のメキシコのこどもたちの様子でした。赤ちゃんを抱っこしてあやしてね、というシーンでは、それはそれは優しく、人形ではなく本当の赤ちゃんのように上手に抱きかかえているのに、身体を洗ってあげるから洋服を脱がせましょう、というと急に扱いが「どうでもいい感じ」になり、人形を逆さまにして、乱暴に服を脱がせていたのです。
こんな風にならないように、最初から最後まで人形ではなく、1人の大事な赤ちゃんって思いながら、お仕事して欲しいよね、と仲間たちと何度も話してきました。

そうか、「愛情を持って接する」っていうことを、こどもたちが理解できる言葉にすれば、それは「大事に思ってる気持ちを伝える」ことなのか!

最終的に、冒頭の部分は、こう伝えることにしました。

「産まれてすぐの赤ちゃんのお世話をする仕事です。赤ちゃんのことが大好きだよ、大事に思ってるよってことが伝わるように、赤ちゃんに優しく触れたり、抱っこしたりしてくださいね。みなさんの大好きだよ、っていう気持ちは赤ちゃんにも分かりますからね。」と。

心の中の、「こども像」と対話をするだけで、自分の中に新たな気づきが生まれます。
こどもに伝える、その視点が、何か本質を引き出してくれるように思うのです。


さて。こどもに伝わる言葉は「本質的な内容を捉えた言葉だ」とお伝えしてきました。では、逆に、こどもの言葉は、どんな風に受け止めたらいいのでしょう。例えば、「ママおしごと行かないで。」って言われたら?

ママの仕事について、こどもに分かるような内容を説明する?
お仕事の大切さについて、こどもが感じられるようにお話する?

今までの話の流れで行けば、何かこどもが納得できるような本質的なことを伝えればいいのかな、と思いたくなりますが、この場面では逆で。こどもの発した言葉の本質が何か、ということに、意識を向けたらいいと思うのです。

まずは、こどもの想いに沿う。
「おしごと行かないで欲しいんだね。」
「どうしたらいいのかな?」って。

今、どうしても読んでほしい絵本があるのかもしれない。
おしごとに行く日の朝の慌ただしい雰囲気がキライなのかもしれない。
なんだかよく分からない「おしごと」なるものが、ママにとって自分よりも大切そうなので訳もわからずヤキモチ焼いてるのかもしれない。

こどもの発する言葉は、こどもが理解している世界の中から発しているので、時に、本来の意図とは違う形で、発せられているかもしれない。だから、まずは、「おしごと行かないで」という言葉に動揺しないで、その言葉として現れた根っこの想いに、ちゃんと沿いたいと思うのです。そうすれば、じゃあどう対処したらいいのかが見えてくるかもしれません。

まずは、こどもの言葉を心で聴くこと。伝えるのは、その次です。
言葉が伝わるかどうか、という以前に、相手がその想いを聞きたいのかどうかに心を向けることが大事ですよね。

大人も、こどもも、コミュニケーションで大切なことは変わりません。誰と向かい合う時も大切なことを、改めて教えてくれるのが、こどもとのコミュニケーションなのだと思うのです。