膨大な量のブロックを使って、丈夫な橋を作る。
ケント紙と好きな道具を使って、丈夫な橋を作る。
子どもたちはどちらを面白がるだろうか。
調査をした訳ではないが
9割くらいの子どもは
ブロックの橋を好むのではないか。
きっちりはまるし、きれい。
プラスチックだからしっかりしている。
パーツの色も形も増えていて
いろんな形の橋が実現できそう。
他方、ケント紙で作る橋は、切ったり貼ったり。
おそらく切った線も曲がっているし
セロテープがベタベタ貼ってあったりして
見た目には、あまりきれいではないかもしれない。
ただ、ケント紙で作る橋は
自分の考えたままに、どんな形にも加工できる。
微妙な角度の曲線も
ねじれた形の装飾も
ドラゴンや恐竜のオブジェだって
想いのまま。
今どきのブロックには沢山の種類のパーツがある。
作り手の想像をはるかに超える多様な形が作れるし
無限の組み合わせがあるから
「自分の欲しいパーツがないから物足りない」
って不満は起こらないだろうけれど。
でも、究極のところでは
他の誰かが考えたパーツの組み合わせしか
形にできない、とも言える。
・・・というブロックの話は、たとえ話であって。
(ブロックは、その限られた世界の中で
ある種抽象的に作ることが醍醐味だと思ってるし。
何より遊びに対して云々したい訳ではない。
たとえ話!あくまで、たとえ話。ここから本題。)
プログラミング教育
それに使う教材の話を聴くと
私の頭の中に、おもちゃのブロックの絵が浮かぶ。
2020年からの学習指導要領改訂で
話題の1つとなっているプログラミング教育。
ちょっと検索してみると
「プログラミング」という教科が増える訳でなく
通常の授業の中で行うこと。
目的は「プログラミング的思考」という、
論理的に考える力の習得だってことなど、分かる。
さて。この「プログラミング思考」。
物事には手順があると知り、
意図を実現するためにどんな手順を踏むかを考え、
物事を解決する、という考え方のことらしい。
課題を解決する時の方法の1つとして
結論から逆算をして手順を考える、という手法が有効ってことに
特段、意義をはさむつもりもない。
ただ、子どもたちには、
そうやって、結論から逆算して手順を踏む、という
洗練された方法を経験する前に
もっと、味わってもらいたいことがある。
それは、
「どうしたら、できるだろう?」という疑問とか
「こんな風にできたらいいのに」という夢とか
解決できなくてもどかしい思いとか
そういう気持ち。
自分の手や体や頭を使って
こうなればいいのに、と願い、考え、試す
そういう経験の積み重ね。
別に、大したことじゃなくていい。
紙飛行機を遠くまで飛ばしたい、とか。
自転車でいかに早くカーブを曲がるか、とか。
隣のイヌが吠えなくなるにはどうするか、とか。
上り棒がのぼれるようになりたい、とか。
憧れの漫画みたいな絵が描きたい、とか。
学校の授業で行う、というよりも
遊びの、得意分野。
身の回りには、解決したいこと沢山ある、
という実感があって、
解決しようと、自分であれこれ工夫してみる、
そういう経験がないうちに
解決法だけ教わっても、仕方がない、と思うんだ。
学校の場で、どんな風に行われるんだろう。
大人から何らかの「課題」が与えられるのかな。
もちろん、子ども自身が試行錯誤するのだろうし
解決へ至る道筋も複数あるのだろう。
課題が解ければ、嬉しくもあるだろう。
でも、たぶん、大人は「答え」を持っている。
あれこれ考えても、試しても
結局、誰かが考えたことの範囲内でしかない。
どこかに「模範解答」がある、って
子どもは敏感に感じ取る。
自分なりの方法をあれこれ試すのではなく
大人が求める答えを詮索しようとする。
そうなってしまったら、つまらない。
「手順を踏めば解決できる!すごい!」と
感動を得るためには、
①本当に解決したい、強い気持ちがあることと
②その前にうまくいかずに試行錯誤していることが
必要だと思う。
どちらも経験せず、「手順を踏めばできる」ことを
最初から教えてしまっても、子どもは感動しない。
感動しないものは、身につかない。
そして、子どものうちには、
答えが1つとは限らない問題が沢山あるってことを
存分に経験してもらいたい。
答えが1つしか決まっていないからこそ
ひとりひとりに違う答えがある。
だから、「自分が」考える価値がある。
プログラミング教育実施の目的を考えれば
パソコンに向かう前に、
もっともっとやるべきことがあると思う。
最初に触れた、紙の橋と、ブロックの橋の話。
ブロックの方に魅力を感じる子どもは多いだろう。
ツールとして、整えられ、完成しているから。
でも、最初は紙しか与えられなかったら。
そこで、あれやこれやと試してみたら。
試してみて、丈夫な橋を作るための
バランスとか、幅とか、作りたい形とか
自分なりの考えがまとまってから
材料としてのブロックを手に入れたら。
きっとブロックを存分に使いこなすことだろう。
ブロックのパーツありきの橋ではなく
作りたい橋を実現するためのブロックになる。
プログラミングというものにも
そういう風に出会えたらいいのになぁ、と思う。
きっと、困ったことを解決できる可能性を持った
「魅力的なツール」として出会えるだろう。
プログラミング教育が始まる。
そこは、もう決まったことだ。
ならば、そのプログラミング教育が
子どもたちの心に伝わるために
リアルな体験が大事だってことを
声を大にして伝えていきたい。
伝えるだけでなく、体験の場を提供していきたい。
リアルな体験に裏打ちされてこそ
学びが、子ども自身の中に根を張ると思うから。