「すぐ隣にいるあの人の人生」にドラマを感じるようになった

普通の人の普通の人生を
コンテンツとして目にすることが多くなった。

一流のスポーツ選手や
誰もが知っている有名人や
有名企業の社長ではなくて
どこにでもいそうな人生。

ひと昔前、私たちが子どもの頃
テレビなどで目にする「人生」は
大成功のそれと相場が決まっていた。
逆境をバネに人知れず努力して
最後には、「一番」の地位を得る、という成功物語。

でも、今メディアで紹介されているのは
そういう手の届かない成功者ばかりではない。
自分のすぐ隣の家に住んでいそうな人。
いくつかの困難や挫折
いくつかの成功と喜び
可もなく不可でもない1日1日を積み重ね
自分に無理のない暮らしと
負け惜しみではない満足感を得る人生。

私たちが観たいのは
特別な人だけが成し遂げる
想像もつかないほど大きな成功ではなく
自分にもできるかもしれないくらいの
身の丈の成功へと変わってきているように感じる。

「幸せな人生」への価値観が
変わってきたんじゃないかな?

いい会社に就職する。
そこで真面目に働けば
いいポジションにつくことができる。
年収も高くなる。
そういう成功者になれたら
プライベートな幸せは、自ずと手に入るもの。
だから、
家族と過ごすとか、趣味を持つとか、
おいしいものを味わうとか、のんびりするとか
そういう幸せは殊更に求めるものではない。
・・・日本全体が働くことに必死だった時代は
そんな価値観に覆われていたように、見える。

でも、そうじゃなくなってきた。

大事な家族との1日1日を大切にすること。
自分が夢中になれる何かがあること。
誰かとおいしいね、と喜び合うこと。
自分の心地よい時間を過ごすこと。

誰かに信頼され頼りにされること。
大事にしたいと思える人がいること。
誰かを助けて感謝してもらえること。
かなえたい目標があること。

挙げればキリがないけれど。
自分の人生を生きているからこそ感じる幸せ。
他者から見て「幸せに見える条件」よりも
自分が「実感できる幸せ」を求めている。

いわゆる社会的な成功者しか
幸せになれない訳ではない。当たり前だけれど。
「自分はこの生き方が幸せ」という
自分軸を持って生きている姿を
すてきだな、って感じるんだと思う。

日本全体が必死に働いていた時代に比べて
今の時代を
経済的に大きく飛躍しないことを指摘して
落ち目であるように見ることが多いけれど。
経済的な目的だけに生きる意味を見出すのではなく
個々人が自分の幸せを大事にできるようになった
という意味では
私は今の在り方の方が好きだ。

誰にでもドラマがある。
幸せの掴み方はひとりひとり違って
だからこそ、ひとりひとりのドラマが魅力的だ。