[あそびのじかん]というfacebookページを運営しています。
日々の小さな遊びの風景に目を留めたり、遊びについてふと立ち止まって考えたりすることを目的としたページです。
運営側の意図としては、『あそびのじかん』を出版してから、「あそび」を自分らしさの1つとして大事にするべく、
日々感性を磨いていたいという想いもあります。
facebookに投稿した「遊びの風景」を、こちらにも随時載せていくことにしました。
5月24日
【あそび いろいろ】
急に手を挙げて
「あ。おそらさわったよ。 」
ですって。
ふにゃふにゃしてたって。
曇ってたからね。
あったかくも 冷たくもなくて
ふつうの温度なんだそうです。
お日さまが出ている日は
熱いそうです。
現実主義のムスメは
こんなロマンチックなことを言いつつ
「ホントじゃないけれど
わたし、面白がって言ってるの」という
立ち位置が揺るがない。
自分の語るファンタジーを
「実はほんとのこと・・・」と
信じている訳ではない。
その、「こどもってファンタジーよね」という
ステレオタイプに、はまらない感じが、私は好き。
5月26日
【あそび いろいろ】
こういう準備をした人は
こどものことを
よく観ている人だなぁと
思うのです。
無造作に並んでいるようだけれど
こどもが、どんな風に遊ぶかを
イメージしながら
ちょっとわくわくしながら
並べたんだろうなぁ。
ムスメは、何度も何度も
行ったり来たり
行ったり来たり
跳んでました。
このね。微妙な間隔が
ちょうど、いいんです。
一見同じような
「遊ぶための準備」。
でも、創る人のアタマの中に
こどもの姿の有る無しは
ちょっと使ってみたら、
すぐ分かるんだなぁ・・・。
5月29日
【あそび いろいろ】
生き物さわってみようコーナー。
「好き」な気持ちが
手つきから溢れてる。
カニと遊んで遊んで遊んで
周りの子たちにも見せて
カニの伝道師みたいになって
その場を動こうとしない。
ムスコ4年生。
本人は、「ムカシは生き物好きだった」
という言い方をするんだけど
いやいや、充分に現役で生き物好きだよねー。
5月31日
【あそびをおもう】
それでも、
こどものあそびは
待ったナシだ。
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それでも・・・と言うのは
準備ができていなくても。
環境が整っていなくても。
大人がそれどころじゃなくても。
子どもたちが暮らすことは
遊ぶことに満ちている。
モノがあってもなくても
場所があってもなくても
大人が認めても認めなくても
彼らは遊ぶ。
遊びの中から、自分になる。
ならば大人は
どうあればいいんだろう?
小さな人たちの持つエネルギーには
もっと敬意をはらっても
良いと思う。