[あそびのじかん]というfacebookページを運営しています。
『あそびのじかん』出版を機に
発信を始めたページです。
日々の小さな遊びの風景に目を留めたり、
遊びについて立ち止まって考えたりすることが目的。
また、 私の感性も磨き続けていたいと想い、更新しています。
facebookに投稿した「遊びの風景」を、
こちらにも随時載せていくことにしました。
【あそび いろいろ】
ふと「寝ているごっこ」を
始めました。
1歳の女の子です。
きをつけ、の姿勢で
仰向けに寝転がって
目をつぶっています。
私が「ねんねん」と、
寝かしつける真似をすると
ぱっと目を開けました。
「あれぇー、おきたのー?」と言うと
ケラケラ笑って
また目をつぶります。
また「ねんねん」とトントンすると
ぱっと目を開けるので
「あれぇー、おきたのー?」と言うと
ケラケラ笑って
また目をつぶります。
しばらく繰り返していました。
すごいな。
ついこの間まで、
欲求と行動は一直線にしか
つながっていないように見えたのに。
「ほんとは寝ていないのに
寝ているつもり」という
シチュエーションを自分で作り出せて。
その前提を相手が知っていると分かりつつ
つもりの世界で、やりとりを楽しめる。
詳しいことはよく分からないけれど
認識の世界でいくと
すごく複雑なことのように思える。
すごいな。
こんな風に、
遊びの1つ1つが成長なんだな。
2018年10月3日
【あそびをおもう】
運動会シーズンですね。
子どもの成長を
見ることのできる機会でもあり
親にとっても楽しみですよね。
ただ、成長の形は色々あります。
率直に言えば
「みんなと同じように
できるようになる」ことだけが
成長ではない。
大勢に注目されて走ることが
好きな子どももいれば
誰も見ていないところで走ることが
好きな子どももいる。
振付を覚えてみんなで踊ることが
好きな子どももいれば
曲に合わせて、想いのままに踊る方が
好きな子どももいる。
後者のこどもが、
自分の「好き」をあきらめることを
成長と呼びたくはないなぁ、と
思うのです。
もちろん年齢を重ねるにつれて
「みんなで何かをやる時には
自分の好きなことは、
ちょっと脇に置いておくこと」が
求められることは、よく分かる。
そうやって適応していくことを
一方的に批判するつもりもない。
けれど、それを、
成長、と呼んでもいいのかな。
「自分の好きなこととは違ったけれど
試しにやってみたら楽しかった」ならば
嬉しいけれど
そんな理想的な形ばかりでもないよね。
子どもたちの現場に近い立場では
それぞれの「好き」の形を
尊重するような場を作りたいし。
そうではない環境の中では
「みんなと合わせて踊れたこと」よりも
「楽しそうに踊っていたこと」を。
「みんなとスタートできたこと」よりも
「チカラ一杯走ったこと」を。
言葉にして、認めていきたいなぁと
思うのでした。
運動会の話を書いていたら
個々の楽しみ・集団の楽しみ、という
最近の一番の関心ごとへと
想いが流れていきました。
「みんなと一緒」だけが良い訳でもないし。
「みんなと同じように」できることが
目指すところでもないと思うんだよね。
もちろん、
自分のペースが大事でそれを崩せない子とか
自分がその時やりたいことだけに気持ちが向かう子とか
他の子ができることに興味を示さない子とか
そういう、自分の世界が強固にある子どもの
お父さんやお母さんには、みんなみたいに、って
切実な想いがあることも、分かるけれど。
でも、せっかく自分の世界を大事にしている子が
それをあきらめることを「成長」とは呼びたくないなぁ。
「自分を大事にすること」と
「誰かと一緒にいて嬉しく思うこと」。
その2つを対立軸で考えるのではなく
どっちも、求められる、っていう風に
なればなぁ、と思うのです。
2018年 10月4日
【あそびをおもう】
3歳の子どもたちと
ブランコで遊ぶ。
この数か月で、
順番を待てるようになった。
ブランコの柵の横でじっと待って
ようやく自分の順番。
最初は、背中を押しながら
私が数を数えていた。
でも、他の大人の様子を見ていると
・・・数えていない。
試しに数えるのをやめてみる。
私が数えていた数よりは多いけれど
子どもが自分で決めて
「終わり」って言えている。
子ども自身に
「そろそろ変わろう」と
思うタイミングがある。
それを、尊重しているんだな。
子どもを信じる、というのは
こういうことか、と気づく。
もちろん、なかなか順番が変われなくて
「はやくー」と、他の子どもたちから
催促されてしまうこともある。
催促されても、催促されても
自分の心が動かなければ、動かない。
「〇〇しなさい」と言ってしまうと
動きかけた心が、止まってしまう。
待つことが、大事なんだね。
こういうことの積み重ねで
子どもは、「自分で考えること」と
「人と共にあること」とを
一緒に身に付けていくんだなぁ、と思う。
数を数えるのをやめて良かった。
こどもを 信じる
ということは
最初から 格好いい訳じゃない。
ケンカしたり。
駄々こねたり。
でも 信じるってことは
それでも 信じるんだね。
2018年10月5日
【あそびをおもう】
ごっこ遊びが
魅力的であるために。
「真似をされる」側の
私たち、大人の世界が
魅力的じゃなくっちゃ
いけないと思ってます。
キッザニア12周年に寄せて
2018年10月9日
【あそびいろいろ】
春先、
棚に置いてある松ぼっくりと
絵本の松ぼっくりが
「おんなじだよ」って
私に教えてくれた1歳ちゃん。
久しぶりに一緒に遊んだら
絵本のメダカと
水槽のメダカが
「おんなじだよ」って
教えてくれた。
私のことを、「おんなじ、を教えてあげると
この大人、喜ぶんだな」と気づいているようです。
うん。子どもが、おんなじ、を
発見する姿が、私、大好きです。
ムスコは「おんなじ」を
見つけることが大好きでした。
2冊の絵本を広げて
「ここと、ここが、おんなじ」と
指さして教えてくれる人でした。
今、小さな人と出会いながら
彼らの喜びや発見に共感できるのは
かつて、自分の子らがが
教えてくれたからなんだなぁと
こっそり、感謝しています。
2018年10月10日
【あそびをおもう】
例えば、他の文化の元で育った
子どもが作る作品。
子どもの発想が
著しく違うわけではない。
用意された「素材」が違うんだ。
環境は、遊びをつくるんだなぁ。
子どもが育つ場、ということを
もう少し実践的に学びたいなぁと思う今。
過去の、子どもたちの景色が
また違ったものに見えてくる。
このアメリカナイズされた作品たちは
みんな、日本の子どもたちが作ったのだしね。
2018年10月15日
【あそび いろいろ】
講習で 教えて頂いた表現。
ムスメと 再現。
表現を遊ぶ。
色や形や線。
生まれてくる表現を味わう。
何かを描こうと
目的を決めずに楽しむ表現は
自分の思いもしないものへと
変容して。
クレヨンだけでも
こんなにも違った表情になる
という 驚きもあり。
描いても描いても
もっと描きたいと 思う。
何かを描こうとしないこと
まして
うまく描こうとか
誉められようとか
余分なことを思わないとき
表す って こんなにも
気持ちがいいんだな。
講座の真似して
製本して
ミニ絵本ができたよ。
自由な表現 って
安易にクチにするけど
実際は難しいぞ と
思っていた。
その 自由な表現の
楽しみ方をひとつ教えて頂きました。