保育園のこどもたちの外遊びのための園庭が「争奪戦になっている」、という新聞記事を読みました。
園庭のない保育園が増えているために、外遊びのために近隣の公園を利用するも
同じ環境の保育園が多く、他の園とのバッティングすることもある、という内容でした。
このような問題提起を読んでいると、何やらもやもやしてしまいます。
大きな改善(公的な取り組みへの期待や制度の変更を伴うもの)を促すためには、
今の現状を工夫すれば対処できることでも、さも問題である、という風に論じないと伝わらない
・・・そのことは分かってはいるものの、
どうしても、その論調への居心地の悪さを感じてしまうからだと思います。
息子は、地域では比較的広い園庭のある保育園で5年間を過ごし
娘は、園庭のない保育園にお世話になっています。
両方を知り、どちらがいいか、と問われれば、園庭のあるなしは判断基準にはならず、
こどもたちの時間の過ごし方と、先生方の関わりの方が重要だと考えています。
保育園選びの記事でも書きましたが、大事なのは施設の有無ではなく、その活用だからです。
「保育園同士がバッティング」って、さも問題であるかのような見出しが付いていますが、実際大きな問題でしょうか?
もちろん他園のお子さんもいる環境の中では、保育士さんはお子さんの安全確保への緊張感は高まりますし
異年齢の場合は、遊び方やスピード感が異なる故に更なる注意が必要になります。
人数が多すぎるので、その公園で遊ぶことを断念する場合もあるそうですから
こどもたちもがっかりしてしまうかもしれません。
でも、保育園から公園にただ移動し、公園の中だけで遊ぶことだけが、園外活動の楽しみではないと思うのです。
移動の過程だって楽しいし、いつもと同じ遊び方ができなくても、楽しみは探せます。
お目当ての公園が他園のこどもたちで一杯だったとしても、「大勢のこどもが一度に遊ぶと危ないんだよ、
だから今日は他の公園にしよう」 とか 「今日は遠回りしてお散歩しながら帰ろう」 って
言葉をかけることができれば、こどもたちはそこからも何かを感じ、学ぶことができます。
娘たちは、近くの保育園の子たちの運動会練習に偶然行き当たり、見学した日がありました。
春先でした。
娘の保育園の運動会は秋なので、練習風景に興味津々。
早く運動会したいね、って、秋の活動に向けて、楽しみな気持ちが湧いてきたそうです。
近隣の園庭を、他の保育園のこどもにも開放する取組も始まっているようです。
すてきなことです。
もちろん、こどもの環境は良くなってもらいたいし、
そのためには誰かが問題提起しなくてはいけないことも分かります。
でも現場では、「こどもの理想の外遊びはこうである」と、1つの正解だけを求めたり
「園庭がないと理想の保育ができない」と、ないものを数えてはいないと思うのです。
その時の状況の中で、工夫しながら、こどもに添って過ごしている取組みがきっとあるはず。
ないものやできないことを指摘するばかりではなく、
今ある状況でいかにこども目線を大事にしているのかにも目を留め、
プラスに受け止める気持ちを持っていたいと思います。