「あいさつのできるこどもに」と言うけれど

成長を待つ

あいさつは、こどものうちに、身につけておきたいこと、というのは

多くの大人たちに共通する想いで。

 

でも、これが意外に、一筋縄ではいかないものです。

 

親が見本を見せれば、こどもも挨拶するようになる、と言われますが

日々その実践をしていても、家庭の中はともかく、外では、なかなか難しいのが実情です。

 

どんなに家で毎日挨拶していても、外で誰かに会った時に発揮してくれない時も多い。

「ご挨拶は??」「ありがとうは??」と、こどもに強要する姿に

良い感情を持たない人もいるかもしれないけれど、

いやいや、親としても挨拶励行しているんですが・・・というアピールくらいしなくちゃ

何とも自分が気まずい思いをするのも、また正直なところです。

 

娘は、大人の男の人が苦手で、

毎日出会うマンションのおじさまと、交通安全の旗のおじさまが

やさしく挨拶してくださるのに、いつも挨拶ができずにいました。

親が元気に率先することはもちろん、

挨拶の気持ちよさを伝えたり、おだてたり、おどしたり、無理に言わせてみたり

手を変え、品を変え、促してきましたが、なかなか実践できず。

 

それが、半年以上たったある日

急に、挨拶するようになったのです。

 

大人の眼からみて、特筆するようなきっかけがあった訳でもありません。

まさに、少しずつ少しずつ貯まった水が、ある瞬間にあふれるように

ある時から、挨拶をするようになり、それ以来、自分から率先して声をかけるのです。

今では、旗のおじさまと、朝会うたびに「お手々パッチン」をして、出かけるようになりました。

 

こどもとともに育つってことは、待つことだなぁ、と、改めて思い出すことがあります。

機が訪れるまで「待つ」こと。

時に、親にとって、機が熟するまで居心地の悪い想いをすることもあるけれど

やはり、「待つ」しかないのだと思うのです。

 

こどもは、大人からみて気づかなくとも、毎日毎日変化しているのですね。