アナログが好きです。
特にこどもに提供するものは
なるべくアナログにしたいと思っています。
どうしてか?
デジタルは、「道具」に過ぎないと思うからです。
「道具」を使いこなすための技術的な練習は
いつでも始められます。
それよりも、先に
「道具」を使いこなすための感性を
充分に養いたい、と思うのです。
工作好きな人(子どもでも大人でも)が、
「コレを作りたい!」と思いつくには
色々な入り口があります。
最初から、作りたい「コレ」が
決まっている場合もあるけれど。
手触りや質感や形に特徴のある材料を見つけて
「あ、こんな材料を使えばコレが作れるかも?!」と
ピンと、ひらめく場合もあります。
そのきっかけは色々。
いつもいつもゼロから作りたいモノを思いつくのではなく
材料に影響されてアイディアが浮かんだとしても
やっぱり、創造であり創作であると思うのです。
とはいえ。
材料を見て、「これ、こんな風に使ったら面白そう!」と心が動くためには、
自分であれこれ工夫して作った経験や
作る楽しさの実感を持っていることが不可欠だ、というのは
多くの人が納得するところかと思います。
何かを生み出すためには
「1:こういうものを実現したい」という中身と
「2:こうやったらできる」という手段との
両方が必要だと思うのです。
それは、形を持つ「物」に限らず、
歌とか、物語とか、議論とか、
研究とか、発明とか、ビジネスモデルとか・・・何でも。
でも、教育、という文脈では
つい「手段」を増やすことばかり
考えているような印象があります。
「中身」については、個人の価値観や感性に委ねる部分があり、
何がいいか悪いかを教えにくいけれど
手段ならば、技術として教えられるからなのかもしれません。
英語も、情報処理も、プログラミングも
そんな文脈の中で、教育界への導入が決まったように感じます。
その「手段」の中で、
私が特に怖くて、まだ近寄れずにいるのは
プログラミングです。
すごく可能性があって魅力的な
「手段」だと思います。
魅力的なだけに
何かが「できる」ことを知っただけで
満足してしまうんじゃないかしら、と
そのことを不安に感じています。
小学校でプログラミングの授業が
始まるそうです。
新しい「手段」が増えます。
私にできることがあるとしたら
こどもたちがプログラミングに出会うまでに
「中身」を育てることだと思っています。
「中身」と「手段」は両輪だから。
プログラミングに出会う時に
「こんなもの作りたい」が
自分の中に沢山育った状態になっている
お手伝いをすること。
粘土や、モーターや、てこや、ゴムや、ボールや・・・
色んなものを使い、自分の手を動かし
あれやこれやと、工夫したり失敗したり。
そんな実体験を持つこどもこそ
きっと、プログラミングのすごさをが、分かる。
そして、プログラミングという手段を
魅力的に活かせると思う。
むしろ、そういう経験のないまま
プログラミングに出会い
何かができたつもりになることは
こわいなぁ、と感じるのです。
一言で言えば
デジタルに出合う前に
たくさん たくさん たくさん
アナログを経験させてあげたいのです。
そして、デジタルが当たり前の今だからこそ
アナログを存分に味わうためには
子どもの環境をしっかり見守っていることが
必要ではないかと、思うのでした。