「初めての経験を楽しめるのって大事だよ」ってことを、うまく言えるようになりたい

子どもが色々な体験ができるワークショップが好きだ。
仕事的な観点から、我が子の反応を見てみたい、という興味も、もちろんある。でもそんなに仕事仕事している訳でもない。純粋に、普段経験できないことをやってみたら楽しいだろうなぁ、と思うし、そういう楽しさを我が子が味わえたら嬉しいなぁと思う。

子どもたちも、小さいうちは、「こんなのやってみない?」と誘うと、比較的いいよいいよ、と面白がってくれたのだが、年齢が上がるにつれて、気乗りするものとしないものとが、はっきり分かれるようになってきた。「なんとなくピンとこない」と思えば、見向きもしない。小学生には、第一印象は大事。なかなか厳しいのだ。

そんな厳しいチェックを経て久しぶりに体験したのが「ガラス細工」。

トンボ玉4つを作らせてくれた。ベースの色を選び、そこに飾りになるような模様つきのガラスを選ぶ。バーナーで熱しながら棒をくるくると回して丸い形を作り、模様付きのガラスをつけて、またくるくる。水平に回さないときれいな球にならないので、集中しつつ、腕が筋肉痛になりそうな作業だ。

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そんなこんなで、だんだんコツを会得しつつ、1つずつ色の違うトンボ玉が4つ完成。キーホルダーにしてもいいし、ペンダントトップにしてもいい。何に使うかを考えるのも楽しい。

さて。ここから何を得られるのか。

ずっと、保護者の方たちには、「何か直接的に教科の勉強に繋がるような学びは求めない方がいいですよ。初めての経験を面白がれる気持ちを抱いたことが何より大切です。学びの要素は後から自然についてきます」とお伝えしてきた。
いわば、楽しさの感度を磨くための経験。経験を重ねて、楽しさの感度が磨かれていくうちに、学びが身に付きやすい体質になって、きっと人生が豊かさになるのだと、信じている。

その考え方には、迷いはない。

迷いはないけれど、私個人としては、そろそろ「面白がれる気持ち」とか「楽しさの感度を磨く」とか「学びが身に付きやすい体質」とか・・・そういう言葉の精度を高めた方がいいな、と気づく。言葉の精度を高める、というよりは、概念論ではない伝え方をもっと検討した方がいい。それは、もっともっと多くの人たちに、「初めての経験を面白がれること」の魅力や大切さを伝えるために。

例えば、今回体験したガラス細工は、楽しい体験の先に、ガラスの性質に対する科学的な興味とか、色の組み合わせの美しさへの興味とか、そういう、次の好奇心の扉が待っている。まずは目の前の体験を夢中になって楽しむことが第1歩ではあるけれど、その先の可能性を意識していたい。そして、その可能性を保護者の方たちにうまく伝えることができたり、その可能性が広がるような環境を作ることが、私にできることなんじゃないか、と思う。

どうすれば子どもたちの知的好奇心を発芽させることができるのか。
もちろん、私の答えは「あそび」なのだけれど、その「あそび」を、ただのあそび方のアイディア紹介ではなく、もう少し幅広い視点から考えてみることを、今年度の私のテーマにしようと思う。

あそびを磨こう。