読書感想文の本は物語じゃなくてもいいんだよ

絵本

この夏、何人かの小学生の読書感想文の宿題に伴走しました。
「感想文はコワくない」という、小学生向けの講座を開催したのです。

講座の中で気づいたことがあります。それは、読書感想文が書けないお子さんの中には、本の選び方を見直した方がいい人がいる、ということです。


私の講座では、大人にウケる作文ではなく、自分に納得感のいく作文を書くことを目的に、発想を広げるワークと、下書き用のシートを用意しました。参加者たちは、下書き用のシートを活用しつつ、それぞれに自分の宿題を完成させて帰っていきました。

色々な子どもたちが、作文を書く様を見ていて、あれ?と思ったことがあります。

それは、読書感想文は、「物語文」を呼んで、情緒的な感想を書く、ということが大前提になっている、ということです。

たとえば、学校によっては「読書感想文を書くためのメモの作成」という宿題が出る場合もあります。[この本のあらすじを書きましょう][登場人物の気持ちに共感したところはどこですか]などの設問に答えるのです。似たような設問は、読書感想文の書き方を教える本や、WEBサイトにも載っています。どれも、「あらすじがある物語であること」「読み手は主人公に共感すること」などが大前提となっています。

それって、当たり前のことでしょうか?
大人の読書好きの中には、小説好きも、実用書好きも、います。実用書好きが小説が好きとは限りませんし、逆も然り。
小学生も、国語の読解で、「物語文」「説明文(論説文)」という、2つのジャンルの文章を学んでいます。小学生だって「物語好き」もいれば「説明文好き」もいるはずです。

説明文好きの子が、自分の興味のある分野の説明文を読んで、「新しく知ったことは、コレとコレとコレで、だから、自分の知ってることと合わせてこんなことを発見したー。あーわくわくしたー。」って書いたって、充分に本の感想だと思うのだけれど、宿題の設問には、あてはまらない場合が多いです。だから、彼らは一番情熱を持って語ることのできる本ではなく、大人が認めてくれるような物語を選んでいます。

お子さんの中に、10巻以上のシリーズの物語を読み、その完結編で読書感想文を書く、と言って持ってきた子がいました。
10巻以上を読破したのだから、当然その物語が好きなはずが、好きな登場人物も、印象に残った場面も、なかなか答えられない。
あれこれと質問を続けていくうちに、やっと彼が情熱を持って話し出すことがありました。それは、全巻を通したストーリー構成や、後書きに忍ばせた遊び心と言った、物語の裏方部分。でも、その裏方的な「発見」が、その子にとっては、本を読んで一番伝えたいこと、だったのです。
結局、その子の宿題は、無理に主人公に共感することではなく、作者の構想や仕掛けに感動した、ということを話題の中心にしてはどうかと、アドバイスしました。学校の先生が評価するかどうかは分からないけれど、自分が本当に書きたい、と思って書ける読書感想文であってほしい、と思ったからです。


子どもを見ていると、物語を楽しむタイプと、知識を得ることを楽しむタイプがいます。従来の、「物語の主人公に共感し、自分の経験と重ね合わせて、そこからの学びを書く」という、大人がウケるタイプの読書感想文は、物語を楽しむタイプの人の発想に基づいている気がします。
たぶん・・・勝手な想像ですが・・・作文の指導をする大人は、きっと子どものころから物語が好きなタイプの人が多いんじゃないかしら。
一方、図鑑のような本を一心不乱に読み、どんどん知っていることが増えると嬉しい、というような子どもは、作文の指導をする人にはならない気がします。自分の興味のある、自然や、科学や、機械や・・・そっちの道に進んでいる。だから説明文や論説文を好み、知識が増えることを楽しみ、新しい発見にわくわくするタイプの読書は、読書感想文のフォーマットに合わせることが難しいのかもしれません。

実は、毎年選定される課題図書の中には、物語だけではなく「自然科学」の分野の本があります。お子さんが、知識を得ることを喜ぶタイプだな、知らないことが分かると嬉しそうだな、と思ったら、まずは、本選びから見直したらどうでしょう。「説明文(論説文)」を選んで、そして、従来のフォーマットにとらわれなければ、案外本人の実感に近い言葉で感想が出てくるかもしれません。

大人にウケることを目的とした宿題なんて、つまらない。与えられた枠の中で、いかに自分にしかできない世界を展開するか・・・そういう関わり方をしていいんだ、子どもたちや保護者の方たちに、そんな風にお伝えしたいなぁ、と思っているのです。