おとなになるって、どういうこと?

寿

月曜日は成人式でした。

最近の成人式のニュースを見ていると、地元の友人と久しぶりに出会える

一種同窓会のような場になっているのかな、と感じます。

 

 

私自身は、地域の成人式には出席しませんでした。

その頃住んでいた場所は、こどもの頃住んでいた地域ではなく

成人式に行ったところで、誰か知っている人と会える訳でもなかったのです。

 

何より、20歳の年始、とカレンダー上の節目に過ぎない1日に

「おとなになった」という実感がありませんでした。

 

そういえば、最初に「おとなになった」気がしたのは、高校1年生になる春。

私の高校生活は、学校の寮に入るところからスタートしました。

学校の近くで、洗濯ハンガーや洗剤、洗面器やタオルを買い、

寮のある住所に住民票をうつしました。

「世帯主」という住民票を見て、親元を離れて暮らすことの重さをじんわりと感じたことを

今も、よく覚えています。

 

高校に入ってからの生活は、確かにそれまでと大きく違いました。

一番の違いは、学校とは違う外の世界との接点を、自分で見つけたこと。

自分でボランティアセンターに問い合わせて、こどもたちとの活動に関わったことは

結果的に今の私の原点となりました。

その一歩を踏み出すことができたのは、親元を離れていたことも一因かもしれません。

 

ボランティアで出会う人たちは、私にとって「社会」でした。

それまでの、親が整えてくれた学校や習い事の場だけではなく

自分で扉を開いた社会との接点。

そこにいる時、すごく「おとな」になった気がしました。

 

だから私にとって「おとな」は

年齢でもなく、立場でもなく

自分で、外の世界との接点を作れる人。

 

 

 

こどもの対義語は、「おとな」でもあり「親」でもあるから

おとなになることの実感は、「親」との関係性によって得られる部分もあるのかもしれません。

「親」の手の届かないところへ、ふと、1歩踏み出す感じ。

一人一人、自分が「おとな」になったことを、自覚できる時があるのだろうと思います。

その時を、親子ともに、嬉しい気持ちで迎えられるような

そんな親子の関わりを築いていけたらな、と思うのでした。