2014年3月から2015年3月までの1年間、
アメリカ東海岸のボストンにて、家族で生活していました。
価値観も文化も違う環境での生活の中からは
今までの「当たり前」を改めて考え直すような気づきが多くあり
その気づきを「ボストン滞在記」としてお伝えしていこうと考えています。
なお、ここでお伝えしていくエピソードは、私自身の見聞に過ぎず
アメリカ全国規模で見れば、一般的ではない事例もあるかもしれません。
あくまで、私自身の経験に過ぎないことと
お伝えしたいことは経験の中身ではなく、そこからの気づきや考察だということを
ご了解頂けたら有難いです。
日本では新年度ですね。
最初に入社した会社が、毎年4月1日には全社員が一同に会し
入社式の後に社長からの年度の方針発表のプレゼンテーションが
何時間も続く・・・という儀式を行っていたので、この時期になるといつも思い出します。
私は、「折り目」「節目」というものは、結構好きです。
日本的なのかもしれません。
ボストンでの新年度は9月からですが、
1年生の9月、始まりの「儀式」らしきものは、何もありませんでした。
こどもたちも普段着で、普通に登校し
新しい教室にさっさと散らばっていきました。
担任の先生からの「はじめまして」の挨拶はあったものの
全員が集まり、校長先生が訓辞を述べたりするようなものはなし。
日本の「入学式」や「始業式」に慣れた感覚だと
やや物足りない感じもありますが、
この在り方にも、意味があるなぁ、とも感じました。
こどもたちの中には「今日から1年生」「今日からおにいさん/おねえさん」
という、節目の成長を楽しみに感じ、
そのことを、新しいことに頑張るモチベーションに変えるタイプがいます。
ただ一方で、いつもと違うことが苦手で
「今日からおにいさん/おねえさんだからしっかりしましょう」ということを
過度のプレッシャーに感じてしまうタイプもいます。
後者に慮るならば、
いつもと同じ自然な流れの中で、新しいステージをスタートさせることは
こどもたちにとって抵抗の少ない形かもしれません。
そして、形式ばった外的な儀式がなくても
新しいことへの期待を持たせる要素を、丁寧に伝えることで
節目の実感が好きなこどもたちの想いに対しても、充分に応えることができます。
新しい教室や、新しい先生や、新しい教材や、新しい目標設定に
息子もわくわくと興奮して帰宅していました。
新しいことへの1歩を踏み出す時には
こども1人1人が、違うきっかけを持っているのかもしれません。
今まで、節目の外的な形の大切さを疑いもしませんでした。
でも、自分にとっての「当たり前」とは違う形と、違うものの魅力や意義に気づくと
今まで気づいていなかったものが、ふっと目にとまることがあります。
違う文化や価値観に出会うことの面白さは、そこにあるのかもしれない、と思うのです。