〈ボストン滞在記〉4:保護者のボランティア

ボストン滞在記

2014年3月から2015年3月までの1年間、

アメリカ東海岸のボストンにて、家族で生活していました。

価値観も文化も違う環境での生活の中からは

今までの「当たり前」を改めて考え直すような気づきが多くあり

その気づきを「ボストン滞在記」としてお伝えしていこうと考えています。

なお、ここでお伝えしていくエピソードは、私自身の見聞に過ぎず

アメリカ全国規模で見れば、一般的ではない事例もあるかもしれません。

あくまで、私自身の経験に過ぎないことと

お伝えしたいことは経験の中身ではなく、そこからの気づきや考察だということを

ご了解頂けたら有難いです。


ボランティア、という言葉は、日本よりももっと気軽に使われている印象を受けました。

ちょっとお手伝いしてください、ちょっとお手伝いします、という時に

ボランティアという言葉を使っていたように思います。

小学校の遠足の引率ボランティアという機会がありました。

一般的に、日本の教育の中で学んだこどもは、

大勢が集団行動を乱さずに目的地まで行くことには、とても長けていると感じます。

でも、そういうことが得意ではなかったり、

集団行動を乱さないことを重要視していない価値観の地域では

大勢のこどもが出掛ける時には、それに見合うだけの大勢の大人が必要になります。

そこでクラスの保護者に向けてボランティアを募集していました。

当日の朝、集合時間に教室に行くと、

こどもたちが2~3人くらいの小グループに分かれていて

担当のグループを告げられます。

告げられます、と言っても、必ず「自分のこどもがいるグループ」です。

なので、遠足では、自分のこどもとその友達を2~3人引率する、という

週末に近所のお子さん預かってどこかに遊びに来ているような、そんな気分です。

「だって、せっかく来て頂くのに、自分のこどもを見られないと

つまらないでしょう?!」 という、アメリカのママたちの声が聞こえてきそうな気がします。


日本に帰国してからも、保護者ボランティアに参加する機会がありました。

こどもたちが小グループに分かれて地域を探索するプログラムの

グループごとの見守り役です。

担当するグループは、必ず、我が子のいないグループです。

きっと、親子が一緒だと、甘えが出て、子どもが親に頼ろうとしてしまったり

親がこどもに対して遠慮しなくなり、つい手助けしてしまうことを

防ぐためだろうと思います。

どちらの思惑も、よく分かります。

どちらも、それぞれにいいと思います。

ただ、親のボランティアだけをとっても

ちょっとした価値観の違いで、表に出てくるカタチがこんなにも違うんだって

そのことをとても面白く、面白く思ったのでした。