【小さな遊び】成長は結果だけれど目的じゃない

【小さな遊び】はFacebookページ[あそびのじかん]
日々掲載している遊びへの視点を、まとめてお伝えする
〈あそびコラム〉です。


2019年6月17日
【あそびをおもう】
ムスメが、練り消しを作っている。
消しゴムを机にこすり付けては
キレイな消しカスを発生させ
定規でこねて、まるめて
練り消しを作ろうとしている。

トランプしたり
絵を描いたり
お菓子作ったり
もっと違うことができたであろう
週末の午後。

日頃、たとえ無駄そうに見えても
遊びの過程が大事、と
言っているくせに
「そんなくだらないこと、やめたら」
と言いそうになって
あやうくその言葉を飲み込んだ。

そういえば、私もやった。
練り消し作り。
糊を入れたらいい、と誰かが言い出し
みんなで消しゴムのカスに糊を入れ
何だか大変なことになった。

あの経験が、
何かに繋がったかと言えば
うん、何にも繋がっていない。

でも、それでいいじゃないか?
全てのことを
無理に何かに役立てなくたっていい。

くだらなくていい。
意味がなくっていい。

1日が、何かのための時間だけで
埋まっていたら
きっと窮屈なんじゃないかな。

くだらないことを本気でやる。
それはそれで、すてきなんだと思う。
(写真の人?は、私に
 「くだらなくていいんじゃね?」と
 言ってます。イメージです。)

練り消し。
大人には理解されなかったけど
私も小学生の頃、憧れたなぁ。


2019年6月21日
【あそびをおもう】
色付きのシャボン玉で
模様を描くバブルアート。

やってみた。
この時4歳。

シャボン玉よりも
色水そのものが魅力的で。
画用紙に直接注いで
スプーンで伸ばして
にっこにこだった。

色水をぐちゃぐちゃしている
そのことそのものが
楽しいんだね。
何かを創ろうとしてる訳じゃない。

創る楽しみ、ではない。
自分の感じた通りに
身体を、手を、動かしてみる楽しみ。
その感触を味わう楽しみ。

その喜びを忘れずにいたい。

「何ができたか、という結果より
過程が大事なんですよー」なんてことを
大人の方たちに、
しばしば、お話している訳ですが。

こうなると、描かれたものは
結果ですらないのかもしれない。
今、色あそびが楽しい、ということが
何より大切で。

あ。でも、その軌跡を観た本人が
色遊びの楽しさを思い出すことには
役立つかもしれないね。


2019年6月25日
【あそび いろいろ】
子どもの大好きな
「狭い場所」は
彼らにとっての秘密基地。

押し入れの中。
壁と家具のすきま。
机の下。

囲まれていて
特別で
秘密の場所。

長く子どもと関わっていて
本当にわずか数回、
秘密基地にお誘い頂いたことがある。

不思議と
母でも先生でもない時に
「入っていいよ」って言ってもらえる。

おとなとしての立場がないことが
秘密基地に入れる資格なんだろう。

じゃましないように
大人の理屈を持ち込まないように
そーっと入れて頂く。

せまい秘密基地で静かにしていると
遊びに向かう子どもへの敬意を
忘れずにいようと、改めて思う。

子どもが深いところで
遊びの仲間に入れてくれる時は
自分が、親でも先生でもない時。

大人の立場で
子どもと関わっていない時だなぁと
ふっと思う。

子どもと向き合う時に
大切なことが何か
気づいたような気がする。


2019年6月26日
【あそびをおもう】
あそびは大人に
こどもの成長を教えてくれる。
例えば、今まで助けてもらっていたことが
ひとりでできるようになった時。

成長って、
単に「身体的に、できた」だけじゃなく
「自分でやってみようと思えた」
「こわい気持ちを克服した」
「行動に移せた」
「できる喜びを味わうことができた」
ってこと、全部を含む。

そういう全部を気づかせてくれるのが
あそびだと、思っている。

近くにいる大人がどこを見ているかに応じて
「ほら、今までできなかったのに
 一人でできるようになったでしょう。
 これって、すごい成長ですよね」
ってお伝えした方がいい時もあれば
「これができるようになるってことは
運動神経の成長だけではなく
自分でやってみよう、という
心の成長でもあるんですよ」
ってお伝えした方がいい時もある。

できた、できないを見るのではなく
子どもがどんな想いで
何に夢中になっているのか
そんなことに想いをめぐらすと
こどもの姿を観ることは
とても楽しいんだと思う。