【小さな遊び】遊びを通して世界に出合う

【小さな遊び】はFacebookページ[あそびのじかん]
日々掲載している遊びへの視点を、まとめてお伝えする
〈あそびコラム〉です。


2019年6月5日
【あそびをおもう】
手を出して、というので、
両手をお皿のようにして出したら
子どもが手に砂をのせてくれた。
ちょうど気持ちいい暖かさ。
お砂、あったかいね、って言ったら
「おひさまが
 あったかくしたんだよ」
って教えてくれた。

こういうつぶやきが
科学の入り口だよね、ってことを
ひとつ、ひとつ
お伝えしていくことが
大事なんだろうなぁ。


2019年6月6日
【あそび をおもう】
1歳の子どもが花を観ている。
目を見開いて
じーっと、観ている。
しばらくすると
おそるおそる手を伸ばす。
地面に落ちた1つを、
そっと手に取る。
ひらりと落とす。
花びらをちぎってみる。

何を考えているのかな、
って思う。

今日、花に出会ったから
5年後の子どもが
好奇心旺盛な子になる
・・・なんて具合に直線的な成果は、
子どもの育ちには、似つかわしくないから
つい見落としがちかもしれないけれど。
こうやって世界に出会っていく
1つ1つの積み重ねが
きっと子どもの知りたいと思う興味とか
自分の手で世界を知ろうとする意欲に
つながっていくんだろう、って思う。

ふと出合ったものを
何だろう、と
子どものペースで1つ1つ味わうことは
本当にすてきなこと。
それこそが、あそびなんだね。
大人は余計なことをしないで
嬉しく見守っていればいいんだよね。

子どものうちにコレをやったら
アレができるようになりますよ
・・・って風に
単純につながっているんじゃなくて。

大人の関わり方とか
触れるものとか
時間の流れ方とか
そういうことが
コツコツと積み重なっていくんだろうなぁ。

ずっと後になって
積み重ねてきたものに対しての
大きな喜びが届く感じだろうか。


2019年6月7日
【あそびをおもう】
「つくる」という遊びから
子どもが何かを得るとしたら
何だろう。

手の器用さとか。
はさみが使えるとか。
美的なセンスとか。
あるいは
集中力とか。
考える力とか。
工夫する力とか。
挙げれば沢山沢山あるので
最初は、そんなことを
お伝えしようと思ったのですが。

でも、そういう「能力」よりも
私にとって、もっとすてきだな、と
感じたものがあって。

それは。
こんなものがあればなぁ、って時に
自分で作ればいい、って思える気持ち。

楽しみは与えてもらうのではなく
自分で作れるんだ、と思える実感。

人生のごくごく最初に
その実感を沢山感じることができれば
色々なことが切り開ける気がします。


2019年6月10日
【あそびをおもう】
あそび、って
自分の身体実感を
経験できるんだと思う。

走る・跳ぶ・揺れる感覚。
これくらいの幅なら通れる。
こうバランスを取れば揺れても転ばない。
ああやって、こうしたら登れる。
こう踏ん張れば重たいものが持ちあがる。
こうチカラをかけたら破れる。
これくらい柔らかくもてばつぶれない。
雪は冷たい。
夏の砂浜は熱い。

そういう経験は、
理屈じゃない。
説明されてできる訳じゃない。
本を読んでも身につかない。
画面で見ても身につかない。
自分の身体で実感することで
身につく、リアルな感覚。

何かのチカラを得るよりも
もっと土台になる
自分の身体を使いこなし
自分の感覚に出合うこと。
そのことの大切さが
あそびにあると思う。


2019年6月11日
【あそびをおもう】
あそびを通して、こどもは
自分の身体の使い方に
出合うんじゃないかしら、と
昨日の投稿で書いたのだけれど
身体だけではなく
自分の内面的なものにも
出合うと思っています。

自分が何が好きなのか。
何を心地よいと感じ
何をしていると夢中になるのか。

その「何」は
絵を描くとか、走るとか
ままごととか、砂遊びとか
そういう見た目の枠組ではなくて。

ぴったりはまるのが好き、とか。
新しいことを試すのが好き、とか。
淡々と繰り返すことが好き、とか。
速さが好き、とか。
高さが好き、とか。
同じものを見つけるのが好き、とか。

そういうこと。
そういう心の動き方。

自分の好きや快感に
自覚的であることは
自分らしくあるために
とても大切なことと思っています。

「あいうえおつみき」が、ありました。
1人は
イラストの中から動物だけを別にしたり
イラストを色ごとに分類したり
という遊び方が好きでした。
積む時は、二度と同じ形には積めないような
ランダムな積み方をしました。
1人は
文字の順番に並べるのが好きでした。
言葉も作りました。
ドミノも好きでした。
平らに高く高く積みました。

同じものを使って遊んでも
楽しさはそれぞれ違って。
違うから良くって。
その「自分はこんな風に遊ぶと楽しい」に
気づくことが大事だと思うのです。


2019年6月12日
【あそびをおもう】
つみきを高く高く積んでいる子がいた。
3歳くらいだろうか。
ある程度まで積むとガラガラと崩れる。
あーあ、と笑いながら、また積む。
また崩れる。
また積む。
・・・と言うことを
何度も何度も繰り返して遊んでいた。

自分でこわしているんじゃない。
高く積もうとしている。
でも、何度崩れたって、めげない。
あきらめたり、嘆いたりもしない。

このココロの強さは
すごいなぁ、と思う。
何度でもやろうとするチカラって
必要だよなぁ、としみじみ思う。

・・・と思っていたのだが
よく考えれば
小さい子ども、って、誰でも
「何度でもやろうとするチカラ」を
持ち合わせているかも、と気づく。

寝返りをうつとき。
はいはいで前に進もうとするとき。
歩こうとするとき。
言葉を発しようとするとき。

誰もが、最初はできなくて
何度も何度もやろうとして
(たぶん大人の見てないところで
 くりかえし練習もしていて)
それでも、めげない。

大きくなるにつれて
だんだん、できることが増えて
できないことを何度もやれたことを
忘れてしまうのかもしれないけれど。

それを忘れずにいさせてくれることにも
あそびは貢献しているのかもしれない。

何度でも、できる、って
すてきなことだなあ。

何度でもやれるチカラ。
あそびの中だから
うまくできなくても
失敗しても
何度でも、何度でも
やってみよう、って思えるんだよね。
何度でもやれるチカラは
何度でも失敗できるチカラ。

だからさ。
難しすぎでも、簡単すぎでもなくて
ちょっと頑張りたくなるくらいが
何度も何度もやりたくなるあそびで
そのちょうど合っているものと
うまく出合うことが大事なんだと思う。

その時に、
つみきとか、ブロックとか、傾斜のぼりとか
素材がシンプルな遊びは
こども自身が、
その時その時の
自分にちょうどいい難易度の遊び方を
見つけられるんじゃないかな。
だから、長く遊べる。

こどもの「もういっかーい」が
好きだなぁ。


2019年6月13日
【あそびをおもう】
引越しをして、
荷物が届くまでのしばらくの間。
遊ぶための材料が
充分揃っていない時期があって。

食器を包んでいた紙を
全部広げて、伸ばして
絵を描くのに使っていいよ、って
子どもたちに渡したりした。

その時期に描いた紙は
色が真っ白じゃなくて
くしゃくしゃのしわがついてるんだけど。
それはそれで
いい雰囲気になっていて。

たぶんモノが充分にあれば
出てこなかった楽しみ方。

あそびは、
自分で楽しみを見つけるチカラを
引き出す。

どんな環境にあっても
自分で自分を楽しませることができるチカラは
大人になっても、
ずっとずっと必要だからね。


2019年6月14日
【あそびをおもう】
あそびは
自分が出会った
外の世界のものを
自分に引き寄せるような
そんな部分もあるかな、と
感じます。

草花をちぎったり
虫を追いかけたり
水を流したり
影をふんだり
靴を飛ばしたり
お店屋さんになったり
ケンカしたり
仲直りしたことが

大人になって
あぁ、あの時遊んだアレって
こういうことだったんだ、って
気づく。

こどもが把握できる単位で
世界の入り口に
ちょっとずつ出会っている。

あそびで 世界はひろがる。
自分に把握できる大きさで
世界と出合うんだと思う