海外の〇〇は素晴らしくて、日本の〇〇はここがダメである、という論調は、
あまり好きではありません。
何事も一長一短あって、
今置かれている状態にもいいところはあるし、改めた方がいいところもある。
けれど、今の「いいところ」に目を向けることなく、
他と比べて足りないところばかりを指摘しては、いいところさえも見失う気がするのです。
〇〇、にあてはまるものは色々ありますが、
「教育」もやり玉に挙げられやすいものの1つだと感じます。
1年間、アメリカのボストンに暮らし、こどもは現地の学校に通いました。
たった1年間、1つの学校での経験に過ぎませんので、アメリカの全てを語ることなんてできませんが
息子が経験した初期教育の在り方は、「物事に興味を持つこと」「自分なりに考え意見を持つこと」
「その意見を発表したり実践したりして表現すること」・・・等々のプロセスが大切にされていると感じました。
そこには、決まった答えを正しく覚えることよりも
間違っていたとしても自分なりに考えることが求められていました。
(もっと学年が上のお子さんがいる方たちからは、
高学年になると、独自性だけではなく、知識にも深いものが求められて
一気に難易度が高くなると聞きましたので、そこまで体験できなかったのは残念です。)
日本の教育とは違う切り口での授業の在り方を興味深く思いましたし
息子にとって、そのスタイルはとても性に合っていたらしく
自分で考えることや、クラスで発表することを、大いに楽しんでいました。
でもだからって、海外で経験したやり方が良くて
日本のものは良くない、と言い切ろうとは思いません。
学年ごとの習熟目標が明確で、その目標を全員が達成することを求める日本では
やりたい、知りたい、とこどもが思うよりも前に課題が設定されてしまい
自ら取り組もうという意欲を高める面では見直しの余地があるかもしれませんが
誰もが、ある程度以上の基礎的な知識を身に付けることには長けています。
一方、アメリカで息子が体験した授業の在り方は、
興味のあることが見つかった人には、学びそのものが楽しくて仕方がなく、
結果として学びの質や独創性も深める可能性が高いけれども
文字や数字の基礎知識の習熟は個人差が大きく
時に何にも興味を持てないまま、何をしていいのか分からない人さえも育ててしまう危険性を
持っているのかもしれません。
日本は、海外は、という、二者択一の論理をあてはめたり、
自身にないものばかりを数えるのではなく、
日本の、今あるもののいいところに目を向けつつ
それ以外の方法の良さも、うまく取り入れられるようであればいいと、常々思っています。