【小さな話題】安全、と、あそび(2016.9のあそび風景から)

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日々の小さな遊びの風景に目を留めたり、遊びについてふと立ち止まって考えたりすることを目的としたページです。

運営側の意図としては、『あそびのじかん』を出版してから、「あそび」を自分らしさの1つとして大事にするべく、

日々感性を磨いていたいという想いもあります。

facebookに投稿した「遊びの風景」を、こちらにも随時載せていくことにしました。


「遊び」と「安全」について。この日の投稿には、沢山のコメントを頂きました。

2016年9月14日
【あそび いろいろ】
いすの上を のぼって渡りたい。

「いすカバーが、取れやすいから
カバーがはずれて
一緒に落っこっちゃいそうで、
心配だなー。」

大人に声をかけられたら
聞き分けよくすぐに椅子から降りると
カバーをぽいぽいっと投げ捨ててまた、
椅子によじのぼってました。

あそぼうとする意欲があれば
何とかして実現させちゃうんですね。

思わず、かしこいなぁ、と
唸ったこどもの行動。

大人の言うことを理解して
困難を取り除く方法を考えて実行!

でも、いらっとしちゃう大人もいるかも?

我が子だったら、ワタシはどう感じたかな。

発想の違いはどこからくるんだろう。


そして私と友人たちとのやりとり。

「かしこかったですよねー。
いやー、でもジャンプジャンプからの転倒が
不安すぎて、丸を飛ぶ、
代替案を伝えて止めてしまったー。
見守るって難しい。。。」

いすカバーがなくても、
危ないことには変わりなかったのね・・・。
「見守る」ことは大事だけど、
「安全を確保する」ことも大事。
想いに矛盾はないけれど、
個別対応的に矛盾する事態は多々起こるよね。

保育者としての立場は、
「安全を確保する」ことの
優先順位が高いことは当然だし、
親もそれを求めているものね。

ほんとー!常に、
やらせてあげたい、と、安全の
バランスなんですよね。
危険を避けることは是ではない。
危険を体験することって
今はすごーく難しいから。
どっかで体験しなきゃいけないなら、
じゃあいつ止めていつokするんだろうー。

子どもはみんなで育てたい、という想いはあれど
こと安全については、
保護者じゃないと判断できないことはある、
というのは、事実だと思う。

我が子のことは
「擦り傷くらい、どってことないわ」って言うけど
保育をする立場の人にはそのセリフは言えない。
「安全面には最大限注意していますが、
こどものチャレンジを重んじた結果、
擦り傷くらいは起こりうることと、
ご理解ください」・・・ってなるよね。

そう考えると、
こどものチャレンジと安全のバランスを考える時には、
まず大人同士の信頼関係が大事なのかも・・・。
大人たちがお互いに信頼しあって、
チャレンジと安全のバランスの判断への認識に、
ほぼほぼ納得できていて、
その上で大人たちみんなが、
「よし、どんとこい!」と気合を入れて・・・という
人的環境が必要になってくるのかもなぁ。

大人同士、子供と大人、子供と子供、
全ての対人に信頼が生まれる環境設定。
それはやっぱり一緒に時間を共有する事が
最短で最善だと気づいたよ。

「親が周りの大人と深い信頼関係を築き、
その信頼関係を築いた人に見守られている環境」は
子どもにとって本当に居心地がいいんだね。


2016年9月16日
【あそびをおもう】
9月14日に投稿し「椅子によじのぼる話」は
私の身近な人たちの間で話が発展し、
盛り上がりました。

「安全」と「チャレンジ」との
兼ね合いをどう考えるのか。

「安全」と「チャレンジ」との
兼ね合いを決めるのは結局、
責任と価値観だと思うんだけれど
誰が決めるんだろう。

たくさんのおとなとたくさんのこどもがいる環境で
「チャレンジ」できるためには
その価値観が共有されていることが大事で。

そのためには、
大人同士の信頼関係を
築かなくちゃね。

その信頼関係を築くためには・・・
と、こんな具合でした。

「あそび」を考えることは
「楽しさ」を考えるだけではない。

「あそび」を考えることは
おとなとこどもの関わり方とか
おとな同士が築く環境の在り方とか
こどものために良いものが何か、とか
学ぶって何だろう、とか

そういう、こどもと向き合う本質的なことを
考えられることだと思っています。