分かりにくい情報の方が 信用できる

00年代の半ば。今から10年ちょっと前。1人目の子どもを妊娠した私に、先輩ママは「頼りになる育児書を1冊、手元に置いておくといいよ」とアドバイスしてくれました。
あれもこれもと、沢山の情報があると迷って、かえって不安になってしまうから、信頼できる情報ソースをまずは1つに絞ったほうがいい、という話でした。

いいアドバイスを頂いたと、今でも感謝しています。でも、あれから10年以上が過ぎて、そんな風に育児の情報を得る人は少なくなりました。困ったことがあれば、ネットで検索をするのが当たり前。00年代は、検索のためにはパソコンを立ち上げる必要があったけれど、今は、その必要もありません。

情報の発信と受信の形は、日々変わりつつあります。変化することそのものは、当たり前のことだから、嘆くことではありません。

でも、自分が記事を発信する時に、今の情報の在り方は難しいなぁ・・・と途方にくれてしまうことがあります。

目に留まりやすい情報を発信する難しさ

私は「あそびの専門家」を名乗り、子どもたちのあそびについての情報を発信しています。

フリーランスとして働いていますから、自分個人の投稿も、より多くの人の目に触れてもらいたい、と考えています。

そこに、ジレンマがあります。

世の中に流通している情報量は、年々増え続けています。その中で、より多くの人の目に留まり、読んでもらえるためには、分かりやすく言い切る情報が好まれます。「タイトルだけで結論が分かる程シンプルな記事」の方が、より多く人の目に留まり、読まれやすい。

私の専門で言えば、「子どもに○○のチカラを身に付けさせるためには、●●遊びが一番!」とか、「●●遊びで、○○の能力を伸ばそう!」と言う風に、シンプルに言い切るような記事の方が、どうやら多くの人の目に触れやすいようです。

私の考えるあそびの魅力

でも、私は「あそび」の魅力は、一言で効果が言えないところにあると考えているのです。
大人が見て「砂場遊び」とか「ままごと遊び」のように分かりやすいものだけが「あそび」ではなく、葉っぱを集めるとか、砂の感触を確かめるとか、紙を細かく細かくちぎるとか、そういう、こども自身の主体的な活動は、どれも「あそび」だと思っています。

そして、「あそび」によって身に付くことや学ぶことの中には、ずっと後になってから気が付くこともあります。

例えば、紙を細かくちぎると、巧緻性(手の器用さ)が高まりますよ、なんてことを言う人もいますが、そんなに単純には言い切れないよなぁ、と思ってしまうのです。

その子は、自分の行為によって、目の前のものの形が変わる面白さを味わっているかもしれない。どんな力加減にしたら、うまくちぎれるのか考えながらやっているかもしれない。ちぎった形が何に見えるか想像しているかもしれない。どこまで小さくちぎれるのか、試しているかもしれない。紙によって硬さや厚さが違うことを発見しているかもしれない。そんな風に、色々なことを考えながら、手先を動かす、という作業によって、作ることが好きになる子もいれば、試してみることが好きになる子もいる。観察や比較が楽しくなるかもしれない。そういう傾向は、他の遊びも色々試してみて、ずっと後になって現れるかもしれない。

それくらい、子どもの育ちって、多くのことが影響しあっていることだと考えているのです。

専門性があるからこそ一言では言い切れない

子どもの育ちとあそびについて、私自身が学べば学ぶほど、シンプルに言い切ることが難しくなっていくなぁ、と感じます。本質はシンプルだと思います。でも、その本質を、個々の事例や日常と結びつけて、役立つ情報として伝えようとすると、個別性を無視できなくなって、言い切れなくなってしまうのです。

私だけではなく、他のジャンルの専門家たちも、自分の専門性の高い分野であればあるほど、「シンプルに言い切ることは難しい」と考えているのではないでしょうか?

その分野について詳しくない人から見れば、単純そうに見えることでも、専門性が高ければ高いほど「例外もある」「その説が主流だけれど確証はない」「実は科学的に詳しいメカニズムは分かっていない」ことを知っていて、だからこそ言い切れない

分かりにくい情報の方が信用できる

もちろん、誰もが発信者になれる今の状況のなかで、専門家を名乗りながら情報を発信していこうと思うならば、「言い切れないからムズカシイ」と嘆いていても何の解決にもなりません。言い切れないからこそ分かりやすく伝える必要があるし、読みたくなるような魅力的なタイトルをつけなくちゃいけない。そこは、まだまだ言葉選びと表現を工夫していく必要があります。

でも、同時に、情報を受信する立場の人に対して、伝えたい思いがあります。それは、

分かりにくい情報の方が、信用できる

ということ。

同じテーマに対して、2つの相反する情報があった時は、分かりにくい方を信用した方がいい。

特に子育てのジャンルなんて、先が見えない不安ばかりですから、シンプルで分かりやすくて「これをやっておけば大丈夫」と言ってもらって安心したい気持ちは分かります。でも、人の育ちは、そんなに単純にはできていない。むしろ、親自身が、不安はありながらも、目の前の子どもと何とかうまく関わっていこうと必死に向き合う姿勢があってこそ、親子がともに育つのだと思います。

だから私は、これからも、断言したいという誘惑に負けないようにしながらも、言い切らないけれど分かりやすい、言い切らないけれど親に寄り添える、言い切らないけれど読みたいと思える・・・そういう発信をしていこうと、改めて思うのでした。