自分の感受性

自分の感受性くらい

教科書で読んだ名詩集、という本を、手に取りました。

詩とともに

その時々の先生の解説の言葉

詩を受け止めた、あの時の自分の心持ちや悩み

そんなものが、浮かんでくる

タイムカプセルのような本でした。

 

その中の1つ。

茨木のり子さんの 『自分の感受性くらい』。

 

初めて触れた時と、今とでは

全然感じ方が違う。

重さが違う。

 

自分自身が生きていくことに精一杯な年頃の「自分」は

小さき人や、家族や、もしかしたら社会にも影響を与えられるかもしれない「自分」に比べて

まだまだ「感受性」の在り様が、分かっていなかったように思えます。

 

 

生きづらい時代の中で、志を持ち、自分の感受性を守って生きようとした詩人の

その時代と今を比べなくとも

どの時代にも、どの志にも

順調にいかないことなんて、いくつもいくつもあるけれど。

 

その時に、他の何かのせいにしないで、向かい合うこと。

 

戦わなくてもいい。立ち向かわなくてもいい。

ただ、自分事として受け止めることが、大切なことのように思われます。

 

他の時代と比べようとは思いませんが

今だって、もっと何とかしたいと思う課題は、いくつもあります。

だからこそ、社会のせいにはしたくない、と思うのです。

幸せは、自分の心が決めると思っています。

 

「自分の感受性くらい」 そう、自分の感受性を自分で守れるところから、

自分を取り囲む課題にも、向かい合えるのかな、と

静かで勁い詩人の視点に、そうありたい、と、思うのでした。