「学ぶ楽しさ」と「学び方の楽しさ」は違う

学ぶ楽しみ

おもちゃメーカーで、最後に開発を担当した商品は

英語をテーマにしたものでした。

2005年のことです。

既に未就学児向けの「英語」にはニーズがあり

営業的な戦略上、知育商品のラインナップとして、欠かせないものでした。

企画準備のために、他社の「英語を楽しく学ぶ」という商品は色々試してみました。

 

1つ気づいたことがあるのです。

楽しく学ぶ、というキャッチコピーの意図するところは

「学び方」が楽しい、ということなのです。

―人気のキャラクターが「一緒にがんばろう」と言ってくれる

―答え方がシューティングゲームや迷路などのゲーム形式

―正解数に応じた楽しい演出

 

実はやっていることは、[問題が出る][答える]だけ。

だから、おもちゃのように見えて、

そもそも、問題に答えるだけの英語の知識がないと遊べない。

そしてまた、英語教育のように見えて

英語ができるようになると、どんなイイことがあるかが伝えられていない。

(たとえば、「こういうものが読めるようになる」「こういう人たちと話ができる」

というものが見せられていない。)

もっとも、私が担当した商品も、その域を出ることはできなかったので

えらそうなことは言えないのですが・・・。

 


 

その後キッザニアの仕事をするようになって

子どもたちが「学ぶ楽しさ」を味わう姿を

何度も、何度も目の当たりにしました。

 

キッザニアでは、働く大人たちは、こどもに対して

「おとなに接するように」話します。

淡々と、きっちり、大切なことを説明するだけです。

ゲームがある訳でもありません。

仕事によっては、こどもたちは、笑顔ひとつ見せることもなく

ずっと真剣な顔つきのまま、1つの体験をやりとげます。

 

それが、こどもたちにとって「楽しい」のです。

新しいことを知ることが楽しい。

体験をやりとげるために必要なことが分かるのが楽しい。

難しい体験を、自分の力でやりとげることが楽しい。

 

だから私は、確信しています。

こどもにとって、学ぶことは本当に楽しいんだと。

 

キッザニアを訪れるこども。

キッザニアで主催した施設外プログラムで出会ったこども。

そんな、こどもたちの姿が、私に教えてくれました。

 


 

おとなたちに、どうしても伝えたいことがあります。

「学ぶ楽しみ」と「学び方の楽しみ」は違います。

 

例えば英語を例にとれば。

英語を「学ぶ楽しみ」は

アルファベットが読める楽しみかもしれない。

コミュニケーションが取れるようになる楽しみかもしれない。

英語の歌の意味が分かる楽しみかもしれない。

 

英語学習ビデオに登場するキャラクターの面白おかしい動きや

英語クイズに正解すると流れる音楽や

単語を撃つシューティングゲームは

「学び方の楽しみ」です。

 

「学び方の楽しみ」は

「学ぶことの入り口まで誘導する」ことには

とても役立つと思います。

 

漢字や、計算ドリルや、暗記や・・・

「なんだか おもしろくない」という

イメージがついてしまったものに対して

「でも、やってみたら楽しいかもしれない」と

こどもたちに振り向いてもらうために。

 

でもそれは、「学ぶ楽しさ」ではない。

「学び方の楽しさ」によって、勉強する気になったとして

それだけで満足したくないのです。

それを「学ぶ楽しさ」とは呼びたくないのです。

 

「学ぶ楽しさ」に出会うためには

少し辛抱強く、学びを深める必要があるかもしれません。

その時に助けてくれるのが「学び方の楽しさ」だけれど

その先に、もっと違う楽しさが、あります。

 

こんな話はキレイごとかもしれません。

キレイごとでもいい。

新しいことを知るって、こんなに世界が広がる。

新しいことが分かるって、こんなに想いが深くなる。

こどもたちは、その楽しみ方を知っていると、

おとなの1人として、私はこれからも信じていこうと思います。

 

その信頼に基づいた仕事を

これからも続けていきたいと思うのです。