簡単すぎることより、ちょっと難しいことの方が、ずっとわくわくする

子どもの向けのコンテンツの企画にずっと関わってきた経験を通して、子どもたちは「ちょっと難しい」ことが好きだな、と感じています。簡単すぎるクイズよりも、ちょっと難しいクイズを解けた方が嬉しい。簡単な折り紙よりも、ちょっと難しい折り紙が折れた方がかっこいい。手を伸ばせば届くところよりも、ジャンプしてやっと届くところを触ってみたい。キッザニアの企画の仕事をしていた時も、時折、説明の中にちょっと難しい専門用語を織り込むと、子どもたちがとても喜ぶと現場のスタッフが伝えてくれました。

全く歯が立たないくらい難しいことではなく、工夫すればできる、よく考えたらできる、何度も練習したらできる・・・というような「成功が見える程度の難しさ」のところに、子どもたちは、より魅力をを感じているように見えます。ちょっと難しいことを成し遂げて得られる達成感は、子どもたちにとって、喜びでもあり、次もやりたいという想いにもつながるのでしょう。

そう考えると、子どもたちが何かできないことに直面した時に、「できなくてもいいよー」「無理しなくていいんだよー」と声をかけるのは、その子どもにとって本当に適切な言葉なのだろうか、と、迷ってしまいます。その時は「できていない」としても、できる見通しが立っていて、「もうちょっと頑張ればできそうなのになー」と思っている場合もあるかもしれません。

ただ昨今は、子どもが「超えられない程の難しさ」に押し潰されないように気を付けなくちゃ、と考える傾向が強くなっているように見えます。〈苦手なこと/やりたくないことを頑張らせる〉という方法では子どものためにならないよね、という考え方がある程度広がり、負荷をかけることに対して、すごく慎重になっている気がするのです。

どのくらいまでが「達成感を得られるちょうどいい難しさ」で、どのラインを超えると「頑張ることに苦痛を感じる難しさ」なのか。・・・そんなこと、子ども1人1人違うんだから、基準があるはずがありません。

ただ、基準がなくて分からないからと〈子どもを潰してしまわないように無理させないでおこう〉と、難しそうなことを回避するだけでは、子どもたちは物足りなく感じるんじゃないかしら。無理をしなくて確実にできることだけを選んでいても、何かができた、できるようになった、という悦びは得られません。

じゃあ、どうしたらいいでしょう。こういう話をするといつも思うことですが、子どもの育ちに関わることに〈これはOK。これ以上はNG〉なんて、誰にでもあてはまる明確な「正解」はない。1人1人の子どもを良く観ることしかないのだと思うのです。

良く「観る」ための視点は、次のようなものです。取り組もうとすることが、子ども自身の心から出てきた気持ちなのか周りの大人の期待なのか。頑張っている子どもは夢中になっているのかイヤイヤなのか。難しさはちょうどいいのか、難しすぎるのか。そんな風に観たり、あるいは、子どもに話を聴いたりすることで、「これは乗り越えられそうな難しさなのか」「子ども自身が達成したいと思っているのか」が、想像できると思うのです。
もし、「この課題は、この子の今の状態には難しすぎるし、周りからのプレッシャーも強いからやめた方がいい」と思えば、救い出せばいい。でも、そうじゃなければ、子どもを信じて、見守ればいいのです。

子どもだって、大人だって、簡単すぎることより、ちょっと難しいことの方が、ずっとわくわくします。すぐに達成できない子どもの姿を見守ることは、大人の方にこそ辛抱が必要かもしれません。だからこそ、「ちょっと難しいこと」へのチャレンジをじっと見守り、それが達成できた喜びを共有できたら、幸せだなぁと思っています。