「自由研究」の題材とか見映えには(親は)あまりこだわらなくていいよね

夏休みが始まりますね。

小学生の保護者のみなさんにとって、悩ましいものの代表格は、夏休みの宿題、とりわけ、自由研究ではないでしょうか。

・・・という書き出しに、たぶん、多くの保護者の方たちが、「うん、うん」とうなづいたと思うのですが、よく考えれば、おかしな話。子どもの宿題なのに、どうして、親たちがアタマを悩ませなくちゃいけないのかしら。

今日は「自由研究」について、思うところを、つらつらと書いてみようと思います。

自由研究はすてきな宿題

私自身が子どもの頃を振り返れば、「自由研究」は気が進むものではありませんでした。ちゃんとしたものを提出しなきゃいけないなー、って思いながら、あまり気乗りもせず、それっぽいものを、それなりに整えて、お茶を濁していました。全然わくわくしていなかった。

でも、今、〈あそびの専門家〉を名乗り、子どもたちが、多くのことに興味を持って、自分の世界を広げていけたらいいいな、と考えて活動している私の視点から見れば、「自由研究」というのは、とても魅力的な宿題だと思います。
学びの楽しさが、ぎゅっと、詰まっている。

私が、「自由研究」が魅力的だと思う理由は、主に以下の3つです。

①「はてな」を探すチャンス
② 何をやるのか自分で決められる
③ 知ることや学ぶことの楽しさに出会える

①「はてな」を探すチャンス

学びの入り口は、疑問を抱くところにある、と思っています。

そう思うようになったのは、キッザニアの会社で、小中学生向けのワークショップの企画・設計・進行と運営を担当していた時の経験からです。

子どもたちが、自分で考え、自分なりの気づきを得るために、どんな風に場を整えたらいいのか調べました。中でも私にとって学びが多かったのは、小学校の先生たちの授業設計の本でした。

そこにあった言葉が「はてなを沢山さがす」ことだったのです。

実際に、子どもたちに「はてなを沢山探そう」と声をかけると、意識の向け方が、それまでと違うのが分かりました。

「分かったこと」にフォーカスをあてていた時は、知ったこと・聴いたことを一生懸命メモして、それをそのまま発表することが多かったのです。もちろん、新しく知ったことは沢山あったと思うけれど、子どもたちのフィルターが通っていない感じがありました。

でも「はてな」を探すためには、知ったこと・聴いたことを、自分で受け止めて、感じたことに意識を向けたり、不思議だなって思ったり、観察したり、考えたりする必要があります。自分の頭を通さないと、出てこない。

こう書くと、難しそうですが、「はてな」には、正しいとか間違いはないので、身構える必要はありません。

そして、「はてな」というのは、自分の興味が向いているところ・不思議だと思うところ・なぜだろうと気になるところ、つまり「もっと知りたいところ」です。だからこそ、「はてな」は学びの入り口です。

学校の勉強の中には、子どもたちが個々に「はてな(=もっと知りたい)」と思わなくても、次はこれだよ、という風に、次々に学ばなくてはいけないことがあるのも実情です。

だからこそ、時間のある夏休みに、子ども自身が「もっと知りたい何か」を見つけるチャンスは大切だと思うのです。正直に言えば、たとえ結論が見つからなかったとしても、子ども自身から湧き上がってくる「はてな」を見つけることができれば充分じゃないか、とさえ、私は思っています。

② 何をやるのか自分で決められる

そして、その「はてな」を元に、自分のやりたいことをやっていいのが、自由研究です。

自分のしたいことをする、知りたいことを調べる、分かりたいことが分かるようになる・・・その時に、子どもの出力は最大化します。(大人も同じですよね。)

自分が興味のあることを、やりつくすことは、子どものうちに味わっておきたい経験だと思っています。

そのためには(学校の先生とは意見が違うかもしれないけれど)「好きなマンガの登場人物の相関図を作る」「ゲームのキャラクターを強さとタイプ別に分類する」・・・みたいな自由研究があってもいいと思うんです。

好きなものに向き合った時に、自分の出力がどこまで高められるのか、ということを、自分自身で体感できることは、その先、何かにチャレンジする時の土台にもなり、自信にもなります。

だから個人的には、「ゲームのキャラクターを強さとタイプ別に分類する」みたいなテーマをお子さんが思いついた時、「学校に提出するのに、ゲームなんてダメに決まってるでしょ」って全否定しない方がいいなぁ、と思っています。

まぁ、学校の先生との関係性によっては、「算数で習った●●が、日常でも生かせることに気づくために、自分の好きなものを題材にしました」みたいに、フォロー入れてあげるのは、大人の処世術かもしれません。

③ 知ることや学ぶことの楽しさに出会える

そして、自分が興味を持ち、もっと知りたいと思い、自分でやりたいと思って「研究」をやり遂げる、という経験を通して、「知ることって楽しい」ということを、心の底から感じてもらいたいと思うのです。

知らないことを知るって、とても楽しくて、わくわくすることだと思います。それは、ゲームだって、マンガだって、教科書だって同じこと。
でも、あまり興味が向かないことを、無理やり覚えなくちゃいけない・・・となると、楽しさを感じにくいのも確かです。

だからこそ、興味があることを、楽しく調べる経験を通して、「知るって楽しい」「分かるって楽しい」っていう実感を得ることは、それからの人生を豊かにすることにつながります。

自由研究の中身の良し悪しよりも、「知ることの楽しさに出会う経験」ができたことそのものが大切だし、自由研究の目的ってそこに尽きるんじゃないかな、と思うのです。

今年の自由研究どうしますか

自由研究は魅力的な宿題・・・というお話をしてきました。子どもが自分で疑問を見つけ、知りたいと思い、調べて、あー楽しかった、と思って、学びの楽しさに出会うために、自由研究はとても魅力的な宿題です。

そして、今お伝えしたような自由研究の魅力を生かすために、「大人にウケる題材」とか「見映えのするまとめかた」とかは、あまりこだわらない方がいいよね、と、私は思うのです。

今年の自由研究、少し手放してみませんか。

「はてな」を見つけるところだけ、親子で一緒に考えて、一杯一杯身の周りの「ふしぎ」や「どうしてだろう?」を見つけて。その中から、どの「はてな」を採用するのか、どんな風にまとめるのかは、子どもにお任せする。そして、大人目線で体裁を整えるところは、手放す。

誰に何て言われたっていいじゃないですか。子ども自身の宿題ですもの。そして、自由研究の悩ましさが少なくなった分、夏の楽しいイベント何にしようかな、と、楽しいことを考える方にエネルギーを使いませんか。

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