〈待ち焦がれた先の喜び〉を奪っていないか?

子どもの興味を大事にしたい、と、どの大人も言います。
でも、「大事にする」ために、何をしたらいいのかは、難しいです。

例えば、子どもが「面白そう」とか「やってみたいな」と思ったことがある。その時に「やってみたい」と思ったタイミングを逃さないよう、すぐに「やってみる体験」を整えてあげたい、と思いたくなります。
動物に興味を持ったから、すぐに動物園に連れて行こう。ピアノを弾きたいというから習わせよう。テレビを見ながら英語の歌を歌っているから英会話教室に行ったらいいんじゃないかな・・・などなど。

ただ、そんな風に、湧いてきた興味を満たしてもらえた子どもたちが、その先も興味を育て続けるかと言えば、色々です。動物園に連れて行って、そこから動物好きに火が付くこともあれば、あまり楽しめないこともある。始めた習い事が大好きで熱心に練習することもあれば、すぐに飽きてしまうこともある。

そんなもんだよね、という考え方もあるでしょう。興味を持ったことのうち、何を好きになるかどうかは分からないから、色々試してみたらいいよね。合わなければ、また他の物を探せばいいんだよ、って。

ただ一方で、「すぐに何でも与えられすぎると、ありがたみがなくなるんじゃないか」という気もするのです。

動物に興味を持ち始めた時に、タイミングを逃さずに動物園に行くことで、心の中の小さな種火が、大きく燃え上がることはあると思います。ただ、もしかして、動物園に行けたのが数か月後でも、その間、図鑑を眺めたり、絵を描いたり、近所で出会う犬を見たりしながら、動物が好き、という気持ちを維持し続けるかもしれません。いえ、維持し続けるどころか、むしろ大きく育てられるかもしれないのです。

どうしても欲しいものがあった時に、じゃあ、次のお誕生日に買おうね、って言われて、次のお誕生日まで、あと半年。早く欲しいなぁ、って、待って待って待って待ち焦がれて。その待つ間に、自分であれこれ妄想して。こんな風に使おう、あんな風に使おうと考えて。紙で手作りして、あぁ本物は、これどころじゃなくて、もっとすてきなんだろうなぁ、と期待して。
そうやって、ようやく手元に届いたものは、きっと、ずーっと大事にします。
もし、半年も待ちきれなくて、途中でどうでもよくなったとしたら、最初から「それくらいの興味」だったのかもしれないな、って思えばいいんです。

だから、子どもたちの興味を大事するためにできることは、すぐに環境を用意してあげることとは限らないと考えています。
あえて少し待ってみる、という方法もいいでしょう。その変わり、待つ間を楽しめるような関わり方ができればすてきです。例えば、一緒に妄想したり、でたらめに踊ってみたり、子どもの質問を一緒に考えたり。

子どもが何かに興味を持つと、大人は嬉しくなって、すぐに環境を用意したい気持ちになりますよね。でも、豊かになった今だからこそ、あえて「待ち焦がれる」ことを大切にしませんか。きっと大きな喜びや、興味の広がりに繋がると思うのです。