働く母はタイヘンよりも、働く母カッコイイの方がいいな

以前の同僚と会い、働く母としての状況を伝え合いました。
同じ職場で働いていた頃は、自分の業務のことで頭が一杯で
お互いの価値観や仕事観なんて話したことはありませんでした。
でも、今改めて、母として働く想いを伝え合うと
自然と働き方や生き方みたいな深いところにまで話が及ぶから、不思議なものです。

こどももいて仕事もしてタイヘンでしょう?!と言われるけれど、あまりタイヘンだとは思わない、
タイヘンそうに振る舞うことはいくらでもできるけれど、そうしたくないと思っている、という
彼女の言葉に大いに同意。

こどものいる女性だけが職場でタイヘンなのではなくて、
人それぞれに色々な事情があり、その中の1つに過ぎないのだと思う。
ただ、同じ事情を抱えている人が複数いるから目立つだけで。

こどももいてタイヘンなのに、その割には頑張ってるんです、という
スタンスを持ち続けるうちは、働く母の立ち位置って、このまま変わらないように思うのです。

小さいこどものいる人、介護の必要な家族のいる人、家が遠い人、
資格の勉強をしている人、毎週末ボランティアに行く人
・・・色々な事情の人がいる。
それぞれの事情の中で、みんなその人なりに、カッコよく生きてるよねと、そんな風でありたい。
だから、組織の制度だって、「働く母がタイヘンだから働く母を助けます」ではなく
「色々な事情の人が働きやすいように、制度の柔軟さを高めます」の方がいい。
働く母、「こうありたい」と提案した程度が、他の事情の人にとっても役立つような、
そういう在り方がいい。

そのためには、やっぱり、タイヘンさを伝えることで変えていくよりも
コミュニティ全体のメリットとか、他の人にとっての満足感とか
そういうことを伝えることで、文化を変えていけるといいなぁと思うのだ。

何より、自分のこどもに対して
「あなたがいるから、ママのお仕事がこんなにタイヘン」という姿ではなく
「一生懸命お仕事していてカッコイイママ」という姿を見せられた方が、ずっとすてき。

そんな想いと経験を、徒然と伝え合いながら、業務分担や、制度や、評価について話す。
働く母の在り方をきっかけに、働き方や評価の在り方、人の能力の認め方について
見直すことのできるチャンスかもしれない。