小学生の頃、お話を書く人になりたかった

小学生の頃、将来何になりたいかと聞かれると、作家と答えていた。お話を書く人になりたかった。
理由は簡単。将来どんな仕事に就いてみたいか、決められなかったから。学校の先生も、アナウンサーも、ケーキ屋さんも、どれも楽しそうに見えたけれど、1つのことを深く知ろうとしたり、深く目指そうとしたわけではない。「あー楽しそうなことが一杯あるなー」と漠然と眺めてみて、「あぁ、そうだ、お話を作る人になれば、話の中で何にでもなれるぞ」と思ったのだ。なんと安直な。

実際、これは便利な答えだった。大人たちは、「本が好きだしいいわね」と、好意的に聴いてくれた。そして、私自身は「大人になったら何になりたいのか」という問いに向き合う必要がなくなった。何にでもなれる万能なカードを手に入れたと思っていた。

そしてお話を作る人になりたい、って思ったことが、自己暗示のような効果を与えたのか、私は文章を書くことが好きだった。日記の宿題も苦にならなかったし、友達に手紙を書くことも、他愛のないお話を書いてみることも、好きだった。

そんなこんなで、自分の将来のことを、あまり現実的に考えないうちに、私は高校生になり、はたと、気づいたのだ。

私には書くことが何もない。

そこで初めて、自分が将来に向けて、何も持っていないことに気づいた。万能なカードなんてものは幻で、私の手元には何も持ち札がない。

「お話を書く人になりたい」という、シャボン玉みたいな私の夢は、いとも簡単になくなった。

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そして、将来につながるものを何も持っていない、という焦りは、就職活動までずっと引きずった。
自己分析をしながら、いよいよ自分に何もない、と途方にくれた時に、高校生の時から「子どもと関わる活動」を続けていたよね、と思い出し、それが、私のなけなしの持ち札になった。

新卒で就職した「子どもと関わる」会社は、おもちゃメーカーだった。そこから、ずっと、親子や子どもに関わることを、仕事として続けている。なけなしの持ち札だった「子どもと関わること」は、今では頼りがいのある切り札になったと思う。

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さて、おもちゃメーカーの次に働いた会社では、キッザニアの創業に関わった。キッザニアは子どもたちが社会体験や職業体験ができる場所。約50の職場(パビリオン)があり、そこでの仕事が体験ができる。

創業の時には企画を担当し、体験内容を1つ1つ考えた。企画担当は私と同僚の2人。2人で25ずつ、体験時に、個々の仕事を伝えるためのセリフも全て書いた。キッザニアで体験できる全ての仕事について、どうやったら子どもたちに魅力を伝えられるだろうかと、いつも考えていた。夢中だった。

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キッザニアがオープンして随分と時間が経ってから、ふと気づいたのだ。私が子どもの頃に思い描いた「将来なりたいもの」って、これじゃなかったかと。

キッザニアのシナリオという形で、25以上もの職場の仕事を追体験し、子どもたちに仕事を伝えるための言葉を書いたことは、なりたい職業を1つに決められないから、自分の書く物語の中で色々な職業の人になれたらいいよね・・・と思った通りじゃないのか。

職業1つ1つについて、仕事の内容、誰のために働いているのか、どんなことに気を付けているのかと、調べたり、話を聴いたりして、働く人の想いに触れ、それを子どもたちに伝わる物語にしていく。それは、まさに私にとって、「お話の中で色々な仕事をやってみる」という言葉通りのことだった。

楽しそうな仕事が多すぎて選べない、って思った小学校時代。結局、何か1つの仕事は選ばないまま、大人になって、そして、今の私は、あの頃の自分に向けて、働くということ、生きるということの魅力を、伝えているのかもしれない。

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私の話はここで終わる。
何の教訓もない。小さい頃から夢を持つことは大事だよね、と言うつもりもない。(むしろ私は、子どもの頃の夢、というフレーズは美化されすぎだよね、と少し懐疑的に見ている。こちらの記事でも書きました。)

私が小学生の頃には存在しなかった仕事も増えたし、働き方も増えた。あの頃は、フリーランスという働き方も、副業という働き方も一般的じゃなかった。大きくなったら何になりたい?という問いに答えるために、何か1つだけを選ぶ必要があった。
でも、実際はそうじゃない。仕事は変えてもいいし、同時にいくつもの仕事に携わってもいい。子どもの頃思っていたよりも、働くことは、もっとずっと自由で、自分で決められる世界だった。

思い返してみれば、きっと無駄なことは1つもないのだろうなぁ。小学校の頃の私が「お話を書く人になりたい」と思った表面的な夢はシャボン玉みたいだったかもしれないけれど、そこに副次的についてきた「書くことが苦にならない」ということが、その後、どんな仕事をする時にも本当に助けになっている。自分のサイトに文章を綴ることができるのも、子どもの頃からの「文章を書くことが好き」のおかげなのだし。

自分の人生から教訓をひねりだそうとは思わないし、一般化するつもりもない。でも、なんだかんだ、日々考えながら働いてきた自分の働き方が、今はとても好きだ。