算数の問題を解くことって「分ける」ことだな、と思った

子どもたちの算数の宿題を見ていて、ふと気づいたことがあります。
算数の問題を解くことって、「分ける」ことなんだなって。

ちょっと捻りのきいた問題の中には、大人が解いても一筋縄ではいかないものがあります。そういう問題は、一気に答えを導こうとしても、なかなかたどり着けない。ただ、条件と数字を整理して、分かるところから明らかにしていくうちに、自分が知っている問題と、同じやり方を使えば解けるね、っと、ぱっと、回答までの道筋が見える瞬間があります。
それが見えると、あとは手を動かせば、答えが導かれます。

肝になるのは、手を動かして計算をするところではなく、条件を整理して、「この方法だったら、解決できそう!」と、見つけることです。

これって、仕事と一緒だ、と思いました。
目の前の課題や、困難や、トラブルを前にした時には、現状を整理して、「分ける」。大抵の課題は、いくつかの要素が絡み合っていることが多いけれど、それを整理する。そうすると、今までに見たことのある「問題」が、いくつか重なっているんだな、ってことに気づいて、一先ず、この対処法をためしてみよう、と、目途がついたりするものです。

要は、問題解決能力。

よく考えてみれば、「捻りのきいた問題」じゃなくても、算数って「分ける」ことで答えが導けるパターンが多い。例えば、3桁+3桁の足し算(2年生かな?)は、3桁のままだったら扱えないけれど、1桁ずつに「分けて」、1桁+1桁の足し算を組み合わせれば、大きな数も計算できるね、ということを学ぶわけですものね。

学校の勉強なんて、社会に出たら役に立たない、ということを、もっともらしく言う人が時々います。計算は、計算器がしてくれるんだから、算数なんて勉強しても仕方ない、なんてことを言う人もいます。その人がそう思うならば、それはそれで別に構わないのですが。
でも、私は、そうは思わないな。

私は、小中学生の頃、算数が好きでした。まさに「分ける」ことで、問題が整理されたり、何かと何かが一緒だってことに気づいたり、問い方を変えると見え方が変わったりするところが、好きでした。その「好き」は、たぶん、今も私が心地よく感じる思考方法に影響していると感じます。物事を整理して、分けて、論点を見つけることが、得意です。

学びって、自分の視点を得ることに、大きく影響すると思うのです。自分なりの視点を得る、という話って、もっと年齢が上がって、思考モデルとか、そういうところから得られると思われがちだけれど、もっともっと早い段階の学びから、その人らしい視点、って育っているんじゃないかな、と思います。

という訳で、冒頭、算数って「分ける」ことって気づいた、と書きましたが、これは、あくまでも〈私が〉算数から得た視点が「分ける」ことだった、ということなのですね。同じ算数でも、人によって違う視点を得ているのかもしれません。そんな相違を伝えあうことって、長ーいスパンでの学びの振り返りのようで、なんだか楽しそうだなぁ。